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丸美屋のQUOカードに命を救われた話

去年の冬、私は人生のどん底にいた。
それぞれの出来事の詳細は追々書こうと思うが、色々あった。本当に色々あった。

8年以上付き合った彼に振られ、がむしゃらに仕事を頑張りすぎて体調を崩し入院、極め付けは仕事上関係のある人とうっかり不倫をしてしまった。

坂道を転げ落ちるように人生が転落していく、とはこういうことを言うのだなと俯瞰すらしていた。
知らなかったとはいえ、騙されたとはいえ、うっかりとはいえ、自分のしてしまったことは最低であると自覚しているが故に、親しい人にも全てを話すことができなかった。自分で自分を責めすぎていたから、誰にも責められたくなかった。

食事も喉を通らず、睡眠も取れず、会議中もぼーっとするようになった。仕事をしたいのに、会社に行けばその人がいる。やる気も削がれ、でたらめな議事録を出して上司にこっぴどく怒られた。そして私は会社で白目を剥いて倒れた。

産業医の先生に声をかけられた時、心のダムが決壊する音がした。私は嗚咽混じりにぼろぼろと泣いて、見かねた先生がそのまま心療内科へ連れて行ってくれた。

以前の私は心療内科へすごく抵抗があって、自分のメンタルに不調があることを意地でも認めたくなかった。自分はみんなと同じ、普通なんだと思い込みたかったから。

心療内科の雰囲気は静かで、「私はここにいるべきじゃない」という思いと、「早く助けてほしい」と言う思いが入り混じってすごく居心地が悪く、早く逃げたかったのを覚えている。

洗いざらい問診をして、告げられたのは「適応障害」だった。ショックと同時に安堵した。そりゃそうだ。こんだけ寝れないんだから普通じゃねぇわと。

その日から私は会社を休職した。
友達の家にいたり、報告がてら実家に帰ってみたり。1人になることはダメです、と主治医に言われたので守ってみたものの、人といることに果てしなく疲れてしまった。私はこの世界から消えて無くなりたいのに、1人にならないとできないじゃないかと。今思うと自分勝手なやつだな。

我慢の限界が来て、私は一人暮らしの家に帰った。そして9日間家から出なかった。死にたくてもお腹は減るので、食糧が尽きてしまいコンビニに行くことにした。私は死にたいはずなのに…と思いながら、食欲に勝てずコンビニに行こうとしている自分がますます嫌いになった。

家を出る時に久しぶりにポストを見ると、チラシまみれの中に1通の封筒があった。差出人は丸美屋。ちょっと意味がわからなかった。

封筒を開けると、以前に書いた商品アンケートのお礼とQUOカードが入っていた。正直アンケートに何を書いたのか、もはやアンケートを出したことすら忘れていた。だけど、こうして私の手元に「ありがとうございます」の言葉になって帰ってきた。

自分がこの世にいる意味がない、誰も私のことを必要としていない、消えてしまいたい。そんなふうに考えていた時に届いた丸美屋からのQUOカード。絶対そんなことはないと思うけど「ここにいてくれてありがとう」と言われた気がした。

QUOカードと手紙を交互に見て、ぼろぼろと泣いた。こんなことで人って救われるんだなぁと、添えられていた丸美屋の新商品情報を見て笑いながら泣いた。新商品の発売日は一ヶ月後だった。
その時私は「丸美屋の新商品買うまではとりあえず生きてみるか」とゆるい決心をした。

そして一年後の今、こうして生きている。

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