明日、死ぬことにした日
2022年3月3日。今日この記事が投稿されたということは、私の理性が、希望が、希死念慮に打ち勝って新しい夜明けを迎えた証拠だ。死ぬ話をしたいわけではない。
「今日死にたいなら明日死のう」を繰り返せば生きていける!と気付いて今日まで生きた。なかなか縁の切れない希死念慮との闘いに、白旗を揚げることにした。死にたいままでも、弱いままでも、生死を彷徨うことがあっても、またひとつ新しい年を迎えたよ。
「20歳までには死ぬ。首吊りも飛び降りもODも駄目だった。なんで死ねないの。きっと死ぬ時この世には未練なんてない。生きる方が苦しいに決まってる。」といつの日かの日記に書いていた。
高所から飛び降りるか首吊るか電車に飛び込むかして死ねば、これ以上苦しむことは無い。
死ぬことにしか希望を見出せなかった最悪の10代、それでもなんとか夢を持ち、そして全て砕け散った10代。
とうとう私、20歳になった。
20歳までに死ぬって夢は叶わなかったよ。
でも、叶わなくてよかったよ。
と思える自分は幸せ者だ。
正直、闘病も障害もすべて嫌だ。投げ出したくなる。病気や障害とは縁も無く、夢を追い、日々努力できる同世代が憎い。すべて終わりにしたいと何度も泣いた。それでも、憎しみからは何も生まれない。過去に囚われて、泣いて、他人と比べて落ち込みたくはもう無い。自分自身の本当に成し遂げたいことだけ、愛することだけ考えたいのに。上手くいかないものだ、後悔ばかりの航海だよ、人生という旅路は。
たとえ苦しくても、目の前にある、当たり前の幸せを見ない振りして、独りになることはなんて馬鹿らしい。不幸だね、本当に。どんなに藻掻いても、朝日は平等に訪れるから、少しでも良い方向へ舵を取っていきたい。
そういえば先日、この自己満足でしかないと思っていた私のnoteに、「読んで勇気を貰った」「言葉選び、生きてる姿が好き」というコメントを頂いた。こんな拙い自己満足の文章だと思ってたけど、生きた証を残せて、生きててよかったなぁって。泣き崩れたよ。ありがとう。読んでくれたみんな大好きだよ。
最後に、願い事を記しておく。折角の誕生日だから許してほしい。
これからの旅路が少しでも幸せに包まれますように。
長い長い長い夜の果てが、希望の朝日でありますように。
私と、私の愛する人やものたちを、ずっと大切にできますように。
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