ねものがたり② 「上手いものだなあ」
いつの頃とは知れないが、近衛府の舎人という役職に某という者がいた。神楽をたてまつる役にでもついていたのか、歌をたいへん上手に歌う者だったという。
ある時、彼は相撲節会のために力士を集める使いとして、東北地方にまで下ってきていた。陸奥から常陸へと超えるあたりに焼山の関という場所があって、険しく深い山になっている。そこを通りかかった時だった。
長旅の疲れもあり、どこまでも深い山で退屈なこともあり、すこしばかりうつらうつらとしたのだという。しかしふと目が覚めて、(もう常陸の国か、随分と遠くまで来てしまったなあ)などと思って急に心細くなってしまった。ふと、彼は日ごろ歌っている歌に常陸歌というものがあることを思い出して、馬の泥除けを叩いて拍子をとり、声を上げて歌いはじめた。
それはおそらくこんな歌だっただろう。
筑波嶺のこのもかのもに蔭はあれど君がみかげにますかげはなし
(筑波山のあっちこっちに木陰はあるが、あなたのかげ――姿かたちにまさる蔭はないよ)
もしくはこんな歌だったかもしれない。
筑波嶺の峰のもみぢ葉落ち積り知るも知らぬもなべてかなしも
(筑波山の峰に紅葉が落ちて散っている、その紅葉のような美しい人は知っている人だろうが知らない人だろうが愛しいものだなあ)
こんな歌を二、三回繰り返して歌っただろうか。その美声が深い木立に消えるか消えないかという時だった。
「ああ、上手いものだなあ」
そんな声がどこからともなく聞こえて、はた、はた、と手を打つ音がした。
それらは山の奥から聞こえたように思えた。具体的にどんな声だったかはわからないが、ただ、「恐シ気ナル声」とだけ伝えられている。
「……今のは誰だ?」
舎人は馬を止めて従者に尋ねた。しかし、従者たちも顔を見合わせる。
「誰、とわかるようには聞こえませんでしたが……」
とたんに恐ろしくなった。彼は馬を急かし、その場所を通り過ぎた。
しかしその夜、宿を取るころには、彼はひどく具合を悪くして病人のようになってしまっていた。従者もどうしたことだろうと心配していたが、ふと気が付くと舎人は寝入ったまま息絶えていた。
従者たちは驚き、悲しんだけれどどうしようもない。どうにかして京の都に戻ってこのことを伝えたという。
おそらく、そのあたりの山の神が、土地に縁のある歌を上手に歌うのを愛でて引きとどめたのだろう、という話になった。
こんなふうに、才能ある者が神に愛でられることはたびたびあったものらしい。
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・「ね物語」は、古典文学・古記録などから気に入った話を現代語訳し、こわい話として再構成したシリーズです。
・話としてのおもしろさ・理解しやすさを優先しています。逐語訳ではありませんのでご注意ください。
出典
『今昔物語集 巻第二十七 本朝付霊鬼』より「近衛舎人於常陸国山中詠歌死第四十五」
『古今和歌集 巻第二十 東歌』より「常陸歌」
底本
『今昔物語集 四(日本古典文学全集24)』昭和51年3月31日初版 小学館
『古今和歌集(日本古典文学全集7)』昭和46年4月10日初版 小学館