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「南蛮船の見える町 わがバテレン・宗麟・瓜生島」加藤知弘氏・著


6月29日(土)

ねんど人形を動かしたくてここ数か月やり込み過ぎたか、腰の調子を崩して数分間立っていられない状態になり病院へ。来週MRI検査を予約。

11年前に坐骨神経痛でその時は4ヶ月半程座れず、11ヶ月半仰向けに寝られない重症で、でも寝たきりで人形を作り続けたのだった 笑。もの作りを始めるとついつい入れ込んでしまうけれど、何事もほどほどにせねば。
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●「南蛮船の見える町 わがバテレン・宗麟・瓜生島」加藤知弘氏・著

大人しく寝ているとしかし時間が勿体ないので、読書。

>大友宗麟を寄ってたかってくささないと、知識人ではない、とするような大分人のそんなところは、ほんとにいやなのである。(1990・8・13)

・・そういえば2015年に初めて大友宗麟公のねんど人形を作り始めたのは、ネットで故・加藤知弘教授のこの一文を見かけたのも大きな動機の一つだった。この本のここに書かれてあったのか・・(P127~128 「瓜生島」論争と大分人)。

私はがっかりすると、なにくそじゃあ自分で面白くしてやるわ! と却って奮起する性質なのだ。



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2月から人形を動かす勉強を始めたのも、実は1月に同様な随分ながっかりがあったからだったりする。

熊本での学生時代に友人とプロレス研究会を作って、そこから4人もプロレスラーがデビューし、自分の人生で最も面白い時間を仲間とたくさん経験することが出来た(熊本と横浜で)。・・面白いものは自分で動いて生み出すのが、その頃からのモットーなのだ。


■大友宗麟公~最もネガキャンを受け続ける武将

5月25日(土)


諍い目的ではないので具体名等伏せますが、このリーフから読み取れる<客観的な事実>は、<この神社は大友氏による焼き討ちになど合っていない>‥それだけです。

四百年前~令和の現在も延々と続く大友宗麟公へのネガキャンの貴重な一次資料。つい先日友人が近県の神社よりたまたま持ち帰ってくれました。
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学生時代の熊本と、2016年までの横浜と計20年大分を離れていて、どこかしら歪ませられてしまった空気をずっと、生まれ故郷の大分に感じています。大友宗麟公の名誉を取り戻すこと・・大分が面白くなる為の要点はここなのだろう、と自分なりにいつも考えています。

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