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ほんとうの多様性って、なんだろう|わたしって、何者ですか?

身障者手帳を取得したいと相談をしに市役所に行った。
実はもうこれで2回目。
前回は私1人で行って、「精神科の診断書ではダメです」とだけ言われ、撃沈して帰ってきたのだった。

歩けない、手も動かない、働けない。
なのに年金は受給できないし、車椅子も修理も全額負担。
親を頼って生活できる日々も、いつか終わる。

15条指定医の診断書をもらうのに、今の病院では9月に起こった「病棟内イジメ事件」で精密検査するにあたっての入院ができない。
私はどうしたらいいですか、と先生に聞いたら、片道35キロの病院に転院してほしいとのことだった。
看護師長さんは、「転院したところでイジメに遭う可能性は高いから、強いメンタルを持ってほしい」と何度も私に言った。

八方塞がりの状態で、もうどうしようもなくて、補装具の補助だけでも降りないか、どうにかならないかと相談に市役所に行った。
結果から言うともちろん「ダメ」だった。
負け試合って分かっていたけど、いざ「ダメ」と言われるとガッカリしてしまった。
「国が決めたことなので…」と職員は頭を下げた。
そして社協の支援センター(福祉課の向かいにある)を紹介されたので、そこにそのまま相談に行った。

支援センターのスタッフは、親身に相談を聞いてくれたけど、「生活をどうにかしていかなきゃいけない」「だから補助だけでも降りてほしいと思って来ました」と言う話をすると、「今の制度ではどうすることもできない」「A型作業所に行きませんか」と作業所で働くことを勧めた。
私は2018年まで作業所で働いていて、職員に「あなたみたいな”普通”に見える人は一般に行って」と言われ、そんな環境で働くことに嫌気がさして一般に行って病気を悪化させたのだった。
その話をすると、支援センターのスタッフは、「そうですか…」と言って、また気が変わったら連絡をください、と言った。

気が変わるなんてあるわけないよ、と思いながら、支援センターのスタッフと話す父の話を隣で聞いていた。
「もう僕たちは、負け試合だと思って来たので」
「藁にも縋る思いなんです」
父のその言葉に、涙が出て止まらなかった。

私の周りには幸い、理解のある人々がたくさんいる。
だから今まで前を向いてきたし、自分は自分でいいって思ってきた。
今の体だから見える景色がいっぱいあって、私は私だから、今がどんなに辛くてもそれが正解だと思ってやってきた。

市役所から出て、涙する私に、「これで気晴らししておいで」と父は3000円を私に握らせた。
「元気出せ、今日はいい天気だぞ」

いつでも一緒に闘ってくれる父の大きな背中や、母の愛をいつも感じている。
もうやめてよ、心配しなくていいから、と突っぱねてしまうこともあるけど、両親はいつだって私と道を探してくれている。

私はとても情けなかった。
私が生まれたとき、両親はまさか将来娘と共に「社会と闘い、病気と闘う」ことになるなんて思ってなかっただろうな、と思った。

世の中、私も含めて「多様性」だの「心のバリアフリー」だの言ってるけど、実際1番問題視されるべきなのはこの国自体の制度の在り方だと思う。
全然多様性じゃないし、全然心のバリアフリーじゃないじゃん。
話と違うし、言ってることとやってることが違いすぎる。
私はそのギャップにもやられてしまったんだと思う。

私は精密検査ができないから、今のところ、はっきりした精神障害にも、身体障害にも、健常者にも当てはまらない、枠の間にいる中途半端な人間だけど、そうなると「自分が何者なのか」わからなくなってしまう。
みんなにとって、私って何?社会にとって、私って何?
私にとって、私って何?

私は誰なんだ。

いつも私はみんなからのエールをもらって、こんな自分でも自分だから、どんな自分でも自分だからって前を向いてきた。
でも時々、自分の立っているポイントや向いてる方向がわかんなくなってしまう。
方位磁針になるものは、自分の感覚と感情だけ。

国会議員の給料上げてる世の中で、苦しい人は救えない。
増税ばっかりしてるこの国で、生きづらさなんて解消できないし、障害年金受給のハードルを上げてしかいないこの国では、ジェンダーレスも障害理解もあるわけがない。

私は今日も泣きながら、この社会で「本当の多様性のあり方」を人々に問いかけている。

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