公的支援のために動き出したわたしの備忘録
昨日、線維筋痛症を診てもらっている整形外科に行った。
普段は診察なしで薬だけをもらっているので、約2ヶ月ぶりである。
薬(ほぼ効かない)をもらう他に、ひとつ大事な用事があった。
そう、昨日は初診から半年が経った日なのである。
何かしらの障害や疾病をお持ちの方は、この日がどんなに重要か、よくご存知だろう。
初診から半年経たないと、手帳用診断書は書けないということを。
わたしはこの日をずっと待っていた。
もう2月くらいから待っていた。
あまりにも痛い。そんで辛い。生活回らない。なのに、支援がない。
その悲しみに何度も打ちひしがれそうになり、何度も両親と泣き、苦しい思いをしてきた。
この半年間、「今日は最高に体調がいい!」という日は1日もなかったのだから。
初診が1月末なのに、6月末にフライングして先生に診断書をお願いしてしまう程に、わたしと両親は支援を欲していた。
そして昨日、ようやく支援受けるぞ大作戦がスタートを切ったのである。
「多分通らないって、先生言ってたけど…」
前回記事に書いたが、この「線維筋痛症」という病気は、めちゃくちゃ支援が受けにくい。ということは手帳もとても取得しづらい。
線維筋痛症患者全体の15%しか手帳を取得できていない、というデータもある。
それで、わたしは手帳取得のためにものすごく作戦を練った。
今自分が困っている症状や回らない生活のことを、関係する医療福祉関係者全員にまずは知ってもらいたいと思った。
それを前提として、まずは身体障害者手帳のことを隅から隅まで調べまくった。
体力の許す限り、脳がパンクして発熱するくらい調べた。
わかったこととしては、身体障害者手帳というのは、「症状に波がない」という症状に対する恒常性、あとは「ずっと治らない」という症状の永続性が原則ということ。
わたしの場合、症状が悪くなることはあっても「全然痛くない」ということはない。だけど、いつかよくなるかもしれない。それはわからないけど。
診断書の種類とか、絶対に書いてもらうこととか、そういったことを体力の限り、半年間かけて調べまくった。
どうすれば支援が受けられるのか。
手帳をとれたところで、今持っている精神障害者手帳とおんなじ支援じゃ持っている意味もなく、苦しい生活は変わらない。
わたしを診てくれている先生はこんな性格だからこうしたら伝わりやすいかも、とかもすごく考えた。
めちゃくちゃ若いけど、めちゃくちゃいろんなことを調べてくれたり、新しい知識もあって線維筋痛症を一発で当ててくれた先生である。
そんな先生だから、わたしの思いを汲み取ってくれるはずだけど、診察時間はそんなに長くない上に、わたしは診察はほとんど受けず、薬をもらっているだけ。
なので、A4サイズの紙に症状を全部書き込んで、生活で必要な支援、居住環境なども全部書いた。3日かけて書いた。
仕事がしたいのにできないこと、親が高齢で介助をあまり頼めないこと、電動車椅子が必要なこと、スロープをつけられず自力で太陽の光を浴びれないこと。
A4の紙は裏と表がいっぱいになり、それでも書き足りない。
それで、そのメモを、昨日病院で看護師さんに渡した。
色々と問診に来てくれた看護師さんは、「多分通らないって、先生言ってたけど…」というので、「それでもいいです、書いてもらえるのがありがたいんです」と言って、問診を受けた(15条指定医という国で定められた医師のみが手帳の診断書を書けます。15条指定医だけど線維筋痛症は認めないので書かないという医師もいます。)
痛みや感覚障害、体のここがこうなってて辛い、ということを話したら、診断書の人体図が看護師さんの赤ペンで真っ赤になった。
手でコップを持って飲み物を飲めますか、とか、衣服の着脱はできますか、とかいろんな質問があった。
公共交通機関を使えますか、とか、あぐらをかけますか、とか。
できそうなものは丸、絶対無理!というものはバツをつけ、半介助のものは三角をつけてもらった。
わたしが見た感じ、三角とバツが多く、丸もまあそこそこあった。
3分の1くらいが丸で、残りはバツと三角。
握力を測って、両手とも5kgもなく自分でびっくりしたりした。
メモはというと、かなり役立った。
わたしが時間をかけまくって書いたメモは、看護師さんによりコピーされ、「精度がすごい」と看護師間で一通りもてはやされたあと、先生に渡された。
先生は「これがあれば診断書かける」と言ったらしい。
3日かけてよかった。
診断書を依頼した時、「あ〜多分通らないですね、書くけど通らないですよ」となっていた空気は、帰る頃にはなんとなく、「みんなで頑張ろう、通らなくても、それまで一生懸命やろう」という丸い感じになった(気がする)。
あのまま「ま〜通らないと思うけどね、ハイハイ、書いときま〜す」みたいな感じで帰されてたら、多分もうわたしは絶望の淵に立つどころか診断書ができていないのに「あ、無理だ」と悟り、結果が出るまでの3ヶ月をひたすら地獄の中で過ごさねばならなかった。
あーよかった。「気がする」だけでも人間救われるものだなあ。
3ヶ月、と書いたが、診断書ができるまでは1ヶ月、提出してから結果が出るまでは2ヶ月、長くてかかるという。
じゃあもう7月末だから、10月までは頑張ってこのまま生活しなくちゃいけない。
それでも支援が受けられる可能性があるだけで、全然頑張れる。
一応取得できなかった時に管轄の障害者センターに相談、とかは考えてはいるけれど、今は取得できることのみを信じていたいので、そちらは詳しくは割愛します。
自治体によって支援内容は変わります
3ヶ月後にどんな結果になるか、わたしも家族もドキドキで、今から心臓が持ちませんが、ギブミー支援なわたしの状況を簡単にお伝えしました。
自治体によって身体障害者手帳の区分や支援は変わることも調べ上げてわかったので、線維筋痛症になってしんどいのに支援受けられなくて、わたしと同じように地獄の淵にいる方は、一度ご自身のお住まいの自治体が線維筋痛症に対してどんな支援をしているか、また身体障害者支援の内容について調べてみるといいかもしれません。
体が痛みMAXなので、本日はこの辺で。
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