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「女子大生って需要あるでしょ」

「遊ばないの?21歳の女子大学生ってだけでめっちゃ良くない?需要あるでしょ。もっと遊べばいいじゃん」

最近、同い年の男友達と電話で話していて言われた言葉だ。私がいわゆる「遊び」をしないといった話から、このような発言につながった。

これに対し、私の中で引っかかることがあってなんと返答すれば良いのかわからず「あぁ、、うん、そうなのかな、、」と言うしかなかった。心の中で消化しきれないモヤモヤ。何日も経つのにどうしても頭から離れない。拭いきれない違和感。きっと、言葉のチョイスに引っかかっているのだと思う。

「需要」

彼が言う「需要」は「男性から性的需要がある」といった意味だ。ここで話題にしたいのは、性的の部分ではなく、需要という無機質な言葉から連想されることに対してである。

思っていた内容と違うと感じた方がいたらすみません。

需要とは、商品を買い入れようとしたり、供給や施設を望んだりする気持ち。市場に現われる商品への、対価を支払うことを前提とする欲望、またはその総量。

需要というのは欲しいと思う気持ちであるが、その対象は商品やモノである。私は、彼が私をというより女子大生を商品と同等に考えているような物言いに納得がいかなかったのだと思う。商品というのは消費されるモノだ。消費とは、使ってなくすことだと辞書には書かれている。言い換えれば消費とは、誰かがそのモノをいつでも使用し、いつでも破棄できる権利を持つとも捉えられる。たとえ使用しなかったとしても、消費期限はあるのでいつかは無用とされる。

つまり、需要があるというのは商品やモノに対してであり、それらは誰かに消費される。そして、いつかは破棄されるか無用となる。

ここまで考えた時、果たして気軽に人に対して「需要がある」と言えるのだろうか。もし彼が「女子大生というステータスには性的需要がある」という意味合いで言ったのなら話は変わってくる。しかし違うだろう。「女子大生というステータスを持った君には性的需要がある」という意味だろうから。少しだけ心を開きかけていた人から消費されるモノ扱いされたくはなかった。また、あくまで私及び女子大生は客体であり、主体にはなり得ないと言った考えが伺えたのも癪に触った。

需要と言う言葉ではなく、彼がなんと表現すれば私の気が済んだのか。持て囃されると表現したのなら良かったと思う。しかし、吐き捨てるようなニュアンスを出すために需要と言ったのなら、彼には脱帽である。内容が内容なだけにこの言葉が一番しっくり来るのも事実ではあるからだ。

と、ここで話を終わらせても良いのだが、一応、「性的」の部分にも触れておく。

私の個人的の意見として、女子大生が性的な対象として見られるのは致し方ないのかなと思う。もちろん嫌悪感を抱く人も多いと思うが、私自身はあまり気にしていない。女子大生という言葉からしてなんだか生々しくて甘美な妄想を掻き立てるし、実際に性的に魅力ある年頃かつステータスだと思っているからだ。彼がただ言いたかったのも、女子大生というステータスと年齢を武器に性に奔放になればいいじゃん、ということだろう。まあ、巷に溢れるハナシや歌詞にあるようなことをしてみても良いのかもしれないが、その後の自分の末路を容易く想像できるのでしない。今後どうなるかはわからないけれど。

あれこれ述べてきたが、結局のところ人から「需要がある」と言われるのは嫌なくせに、その需要を一番よく理解しているのは自分であって、自ら「供給」する側になる可能性もあるということ。ああ、矛盾してるね。


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