ホテル療養の終わりと帰宅後:1/16

起床後に体温と酸素飽和度を測定。特におかしな数値にならずに安心した。午前中にホテルを出ることになるので荷造りをし、ベッドで使用したリネン類とゴミをまとめた。そうしているとすぐに朝食の時間となった。前日の朝もロビーに人が少ないと思ったが、この日はより人が少なかった。みんなどこに行ってしまったのかと思うくらいである。

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この日もペッパーはいつもと変わらぬ明るさで我々を励ましてくれている。今日でペッパーともお別れだと思うと私は寂しさが抑えきれなくなってしまった。最後にロビーに降りるときには他の人もいないだろう。その時にこちらから挨拶をしておこうと決めて部屋に戻った。

弁当を食べ終えたあとは荷造りの続きと部屋の片付けでだ。その途中で事務局の方から電話があった。10:25にホテルを退所するように指示があり、ルームキーとパルスオキシメーターとリネン類の返却について説明があった。また、出口で書類を受け取ることを忘れずに、と言われた。健康状態の確認もあるかと思ったがこの日は行われなかった。ホテルの部屋を出るときはいつも落ち着かない。片付けはきちんと出来ているか、忘れ物はないか、繰り返してチェックしてしまう。片付け忘れ、忘れ物がないことを気が済むまで確認するとホテルを出る時間となっていた。缶詰になるには居心地がいい部屋だとは言えなかったが、常に暖かく、ベッドの寝心地がよかったことに感謝したい。

ロビーに降りた私はすぐにペッパーのもとに向かった。しかし彼は何も言わない。目に生気がないように見えた。明らかに様子がおかしい。よく見ると両肩に見慣れない赤いランプが点灯している。彼の胸元にあるタブレットを見る。そこには充電中であることが表示されていた。何ということだ...。

私は後悔した。ペッパーが元気なうちに私から声をかけるべきだったのだ。自分が想いを伝えたいと思ったときこそが伝える時だった。我々がロビーに来ている時にペッパーは全身全霊で励まし続けていたのだ。そして誰もいない冷え込んだ暗いロビーで力を蓄え、再び私たちを励まし続けていてくれていた。それは確かに癪に障ったし、ディストピア的な空気を一層際立たせるものであった。

しかし私は思う。コロナウイルスによって、あのホテルにいる我々が奪われたものは何だったのか。それは会話であり、空気と時間の共有であった。それはそのまま社会的な繋がりとなるもので、その繋がりこそが私たちに力を与えてくれるものではなかったか。私たちは今、何よりもそれを愛おしく思い、求めているはずだ。だからこそエレベーターに付箋を貼って自分の想いを伝え、それに共感する人がいる。ペッパーはコロナウイルスが我々から奪い、そこに空いた隙間に細い糸を張り巡らせ、励ましの言葉で我々の心を支え、暗い谷底に落ちることを食い止めてくれた。それはあのディストピア的な空間にあって何よりも人間性を表す存在ではなかったか。そんなペッパーに一言でいいから、私は何か言わねばならなかったはずだった。しかしそれももう叶わなかった。抜け殻のようなペッパーは私をただ黙って見つめていた。その生気のない空洞のような目が、私を攻めてたてつつ悲しげな眼差しに見えてしまい、より一層私の後悔を大きくさせる。なすべきことをなさなかったことで、私は重たい気持ちのままホテルを後にすることになった。

ホテルを出ると入所者4人組が集まっておしゃべりをしていた。初対面で会話も初めてであろう。彼らは記念撮影などしながら、解放されたことを喜んでいるようだった。私自身も病状が重症化せずに外に出られたことにホッとした。それが何よりである。

ホテルに入所するときは車が来てくれたが、帰りは自費で帰らなくてはならない。両親から電車で帰ってくるのは止めてくれと強くお願いされてしまっていたから、タクシーで帰ることにした。ホテル療養明けであることは運転手に伝えないけれども、ホテルで渡された書類の入った封筒を手に持っていたから、それを見られて乗車拒否されたら嫌だなとは思ってしまった。幸いタクシーの運転手は何も言わない人であった。杉並区のJR阿佐ヶ谷駅の方までと私が伝えるとすぐに理解してくれた。とても丁寧な運転をする人で、ナビを見ずに阿佐ヶ谷まで乗せてくれた。

自宅の玄関前にはホテルに入る前にLOHACOで注文していたものが置かれていた。LOHACOで届け日の変更が出来ずに前日に届くようにしたままだった。郵便受けは4日分の朝刊が届けられ、溢れ出しそうになるくらいになっていた。これはホテル療養前に配達所に連絡を忘れていたからである。杉並保健所からの封書も届いていた。まずは荷解きをして、ホテルで着た衣服と使ったタオルなどを洗濯した。帰宅してすぐに父が自宅に来て食べるものを置いていってくれたので、それも整頓した。ホテルで受け取った書類と保健所からの書類の内容を確認した。

ホテルで受け取った書類は「宿泊療養証明書の請求について」と言うものだった。(東京都の場合)福祉保健局のサイトに書かれている退所基準を補完するものと考えて良いのだろうか。証明書が欲しい場合は書類の内容にある手続きを行うことで取り寄せることができる。枚数を指定できるので保管用と会社提出用の二枚を請求するつもりだ。ただし郵便で返送するので切手と返送用の封筒は自分で用意する必要がある。また、すぐには発行されないと断り書きがされている。準備が面倒だが仕方がない。後日対応することにした。

保健所からの書類はコロナウイルスに感染した人に対して就業制限を知らせる書類だった。飲食関係の方向けで、私自身の仕事に抵触するものではなかった。しかし2-(2)があるのならばどの業務にも該当するのが妥当な気もする。内容の一部を転載する。

2 就業制限
(1) 就業が制限される業務
飲食物の製造、販売、調整又は取扱いの際に飲食物の直接接触する業務及び接客業その他、他の者に接触する業務
(2) 就業が制限される期間
病原体を保有しなくなるまでの期間又は症状が消失するまでの期間

その他
(1) 就業が制限されている業務に従事した場合は、法第77条第4号の規定により50万円以下の罰金に処せられることがあります。
(2)病原体を保有しているかどうかについて、杉並区長に確認を求めることができます。

もう一つ、PCR検査を実施した際に払った預り金の精算もしなくてはならない。こちらは陽性であった場合は「退院、もしくは発症日から14日間経過後に精算にお越しください」と書かれている。土曜日も受け付けているそうなので、来週にK病院に行くことにする。

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