見出し画像

追悼:デニス・ジョンソン

1980年代の終わりから1990年代にかけてイングランドでは素晴らしい音楽が多く誕生しました。デニス・ジョンソンは、力強く、表現力豊かな歌声でそうした作品の数多くでバック・シンガーを務め、数々の名盤を支えてきたアーティストでした。その彼女の訃報が7/28に届きました。英紙「The Guardian」によると死因は不明。享年56歳。今年9月に自身のソロ作品がリリースされることがアナウンスされたばかりでした。大変に驚くとともに残念な気持ちでいっぱいになりました。

彼女の名前を多くの人々に知らしめたのは1991年、プライマル・スクリームの「Don't Fight it, Feel it」だったと言い切って良いでしょう。サイケデリックなハウス・トラックでの歌声が印象的な一曲です。なおこのトラックをプロデュースしたアンドリュー・ウェザーオールも2020年に亡くなっており、奇しくもあの時代を支えた二人のキー・パーソンが同時に亡くなってしまったことになりました。

彼女はプライマル・スクリーム「Screamadelica」(1991)と「Give out But Don't Give Up」(1994)のレコーディングに参加し、ライブ・メンバーとしてツアーに同行しています。YouTubeなどで見られる彼女のライブ・パフォーマンスは素晴らしいものばかりです。「Give out But Don't Give Up」では「Scremadelica」より多くの楽曲で彼女の歌を聞くことが出来ます。そのブックレットを見ると彼女がバンドの一員として欠かせない存在であったことがわかります。

私は1998年のバーナード・バトラーの最初のソロ・アルバム「People Move On」が印象に残っています。全部で四曲にバック・シンガーとして参加しています。本作の中で一番重厚な楽曲「Autograph」での彼女の伸びやかで美しい歌声は楽曲に神聖な雰囲気を添えるものでした。この楽曲こそが私にデニス・ジョンソンというシンガーを意識させる一曲になりました。また同じ1998年にリリースされたイアン・ブラウンの最初のソロ・アルバム「Unfinished Monkey Bussiness」収録の「Lions」でも歌っています。不思議な雰囲気の、奇妙にも聞こえるトラックをとてもよく歌いこなしています。バーナードもイアンも最初のソロ・アルバムです。バーナードはスウェードを仲違いの末に脱退し、イアンのストーン・ローゼズも幼名馴染みとの仲違いがバンド解散の一因となっています。心に傷を背負っていたであろう中で新たなキャリアを始める時にデニス・ジョンソンを呼んでいるのは偶然なのでしょうか。バーナードは追悼コメントで彼女を呼ぶ必然があったと言っています。イアンについても、もしかしたらそういった何かがあったのかもしれません。

デニス・ジョンソンの訃報を聞き、とても悲しんでいます。私が彼女をアルバムに誘ったのは、曲を書いている時に彼女の歌を聞いたからです。私はバックシンガーを頼んだのではなく、デニス・ジョンソンを頼んだのです。彼女は美しく生き生きとしていて、私の音楽が彼女の美しさに触れることが出来たことを嬉しく思います。

デニス・ジョンソンは2016年のブレグジット、2020年のBlack Live Matter運動についても言及し続けていました。私はBLMに言及した彼女のツイートにとても考えさせられました。

あなたが以前に人種差別について言及したことがあるか否かは別として、警察の残虐行為や人種差別で死んだ人たちは、今まで以上にあなたの声を必要としているのに、なぜあなたはそんなに素早く黙っていることで連帯感を示すのでしょうか?

このツイートはBLMに対して連携を示すためにSNSに黒い画像をアップロードすることを音楽業界が呼びかけた頃に投稿されています。私は彼女のツイートから苛立ちを読み取りました。なぜ彼女はそのように苛立っているのか?このツイートを初めて見たときはよくわかりませんでした。しかしBLMについて、複数のジャーナリストによる記事を読み、またかつて私自身が学んだことを思い出すことで彼女の苛立ちを少しだけ理解できましたような気がします。

白人警察官に殺害されたジョージ・フロイド氏は事件当時、何か犯罪になるようなことをしていたわけではありません。それなのにあのような事になってしまいました。ジョージ・フロイド氏が白人だったらあのようなことは起きたでしょうか?おそらく起きていなかったでしょう。彼は黒人であるが故に殺害されたと言うのはほとんどの人が認めるところでしょう(実際には様々な状況が複雑に絡んでおり、このように一言でまとめてしまうことは最適ではありません)。英国で暮らす黒人女性のデニス・ジョンソンはいつか自分もこのようなことになるのかもしれない、という危機感を私たちの想像が及ばないくらいに強く感じていたのだと思います。特に女性の場合は二重に差別や攻撃の対象になりうるのです。

私は東京で暮らす日本人の男性で、日本で暮らしている限りは出自や肌の色、性別で私自身の人間性を貶められることはまずありません。私の出自や肌の色、性別は私が努力なり苦労なりをして手に入れたものではなく、たまたま生まれたときから持っていたものです。そうした「たまたまの特権」を持つことができなかった人々の危機感の共有ができるのか。いくつか読んだ記事の中で、そうした疑問に答えてくれるものがありました。以下の朝日新聞GLOBE+に掲載された「黒人として生きるとは」が参考になりました。

私はデニス・ジョンソンがBLMについてツイートしてくれたことで、人種差別、構造的人種差別について学ぶことができました。被差別者の危機感について、完全に共有はできない。しかし理解できる部分はある。彼らの話を聞くこと。彼らが声を必要としているときは一緒に声を上げ、差別主義と明確に闘うこと。デニス・ジョンソンはそうしたことを最後に教えてくれたのだと思っています。

冒頭に引用した英紙「The Guardian」は追悼記事を書いていました。マンチェスターで生まれ、マンチェスターを愛した彼女にふさわしい、素晴らしいタイトル---「デニス・ジョンソン、マンチェスターのダンスフロアの歌声」と銘打った記事です。私は最後の一文にとても感銘を受けました。

Just don’t call her a backing vocalist – Denise Johnson became the main event on everything she sang on.
彼女をバッキング・ヴォーカリストと呼ぶのは止めようーデニス・ジョンソンは彼女の歌った全てでメイン・イベントとなったのだから。

そのとおり。その証拠にプライマル・スクリームが生んだこの名曲は、彼女の声がなくては成りたなかったのですから。ありがとう、どうか安らかに。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?