台風の恋
台風がなぜ日本を襲うのだろう、と考えていたのだが、もしかすると、台風は恋をしていて、恋人を探しているのではないか。山崎まさよしの如く「こんな場所にいるはずもないのに」とつぶやきながら、日本列島を縦断しているのではないか。
あるいは、恋人候補を探しているのかもしれない。なのに、台風が近づくと人は家にこもる。せっかく台風が恋人を探しているのに、恋人候補たちは家に閉じこもる。台風は「いい人いないー?」とつぶやきながら日本列島を横断する。ハリネズミのジレンマを思い出す、なんとも悲しい物語である。
なお、その時の台風の性別は女性だろう。なぜなら米国のハリケーンは女性名が多いからだ(いまはそれが男女差別とされ、男女交互の名前が使われているが)。
以下の記事によると、当初、台風に女性名がつけられていた理由は以下だ。
>そんな中で George R. Stewart が "Storm"(1941年)という小説を発表した。小説内で著者はストームに女性名 "Maria" とつけた。その小説は大衆に愛読され、戦場に駆り出された兵士のあいだでも読まれるようになった。特に空軍や海軍の気象学者はその本に刺激を受け、太平洋で発生した熱帯暴風雨に母国においてきた愛妻あるいはガールフレンドの名をつけるようになった。戦後は大西洋で発生した熱帯暴風雨にも女性名をつけるようになった。
http://www.eigokyoikunews.com/columns/taishukan/2005/10/post_29.html
つまり、怖いものとしての台風への女性名ではなく、愛しい妻や恋人を当てはめての台風としての女性名なのだ。歴史を鑑みても、台風には、何かしら愛おしさがつきまとう。
時期もそうだ。夏の終わりに来ることが多い台風。まるで、それは、夏の終わりのアバンチュールを愛しむがのことくではないか。
村上春樹も、「スプートニクの恋人」で、冒頭に竜巻を以下のように表現した。
>22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋だった。
竜巻は恋を求め、恋の比喩となる。
台風は恋人を見つけて消えるのか、あるいは、見つからずに消えるかわからない。ただ、1つ確かなことは、台風は、恋愛を壊すよりも生む方が多いだろう。なぜなら、台風は恋を生むからだ。
「今日、台風くるから帰るのは危険だよ。泊まっていきなよ」「今日、台風怖い。一緒にいてくれない?」といった台風を頼った言葉がいくつも交わされているだろう。
そういう意味では、台風は恋を求める青春と共に、恋のキューピットなのかもしれない。台風によき恋が訪れることを願う。
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