【スクリャービン小品録】アルバムのページ Op.58

おすすめ度: 星なし(通向けの作品)
※満点は星3つ

皆さん、スクリャービン後期は好きですか?僕はもちろん好きです。独自の語法を切り拓きながら、自らの音世界を拡張せんと格闘する作曲者の顔が浮かぶようです。

彼の後期語法は一般に神秘和音の括りで語られることが多く、もちろんその不思議な響きが軸にあります。しかし、ソナタ10番や詩曲「焔に向かって」では長短和音との巧みな融合があるなど、その魅力は決して一面的ではありません。

これら後期作品、弾いてるぶんには楽しいので、よしいざ分析してやろう、と記事を書き始めてみたのですが、…ううん、やはり相当の難物で、すぐに行き詰まってしまいました。
そこでいったん後期の初めと目される作品に立ち戻り、「神秘和音」の響きや読み方に慣れていこうと思います。

というわけで、今回はOp.58「アルバムのページ」です。

この曲は前作Op.57から2年空いて発表されました。それまでも相当の作風の変化を見せていたスクリャービンですが、この曲はさらに数段進んで独特の響きになっており、ここから彼の後期がスタートしていると言われることが多いようです。※1

※1 Op.58の正確な作曲時期は分かっていません。クラシックで「アルバムのページ」というタイトルは昔のスケッチを掘り起こして翻案したものに用いることが多く、それまでの作品と比べても新奇なこの曲はかなり温めてからいざ世に問うたのかも知れません。

Op.57までとの大きな違いは、ひとえに和声の解決、つまり終止形V-Iの使い方です。それまでは付加音でぼかしたり、曲中に一発入れるだけということもあったにせよ、この終止形は割合はっきりと示されていました。
しかしOp.58はこれらがあっても聴き取ることが不可能なレベルです。いわば「ストンと落ちる瞬間」が消え、無調と言って良いサウンドが得られています(なおこの記事を書くにあたり、V-Iが消失したと書こうとしましたが、後ほど分析で述べる通りV-Iの形は存在していました。ちゃんと分析してみるもんですね)。

他にもOp.58以降の小品の特徴として、
・前奏曲が減り、詩曲がぐっと増える
・殆どが緩-急の2曲から構成される
といったことが挙げられ、この時期のスクリャービンの美学と何かしら関連があるように思われます。

ともあれ、そのような「原点」の意味合いでOp.58を分析するのは有効だと思います。正直曲としては玄人向け…というか難渋で、短いとはいえスクリャービンを知らない人に初めにお勧めするようなものではないです(ストーリーがある分ソナタのほうがよほどわかりやすい)が、彼の世界を覗いてみるべく音符を追っていこうと思います。

楽曲分析

ではやっていきましょう。始めからふんわりとしたアルペジオで始まります。こうした音形的にもソナタ6番あたりにかなり接近しており、前作までと一線を画していることが窺えます。
そして和音的にも神秘和音っぽいですが、果たして根音はどこに取るべきでしょう。はて左手の開始音Cだろうか?と考えて当てはめてみてもうまくいきません。転回して試してみるとここはF#myth(以下、XmythはXを根音とした神秘和音)でした。一番高音に提示されてましたね。そしてm.3(m.は小節番号)にて種明かし的にバス音にも現れています。

余談として、Fisは左手の始めの音Cに対し増四度上、あるいは増四度下であり、12音の中で最も離れた対極の関係にあります。12音をオクターブで一周する円と考えると180度真逆です。共感覚を持っていたスクリャービンらしく、この180度を色相環で考えると補色の関係に相当する…なんて話をするのは楽しいですが、スクリャービンの感じていた色は補色の関係を成していないので話半分に聞いてくださればと思います。

さてこのあと、やはりソナタ6番よろしく和声の変化が乏しいですが、m.3では和声外のHisが出現します。これがG#を形成して幻想的な雰囲気の中で少しだけ光が差したように聴こえます。

m.4 では左手の半音階の揺らぎを経てCに戻り、m.5からは次はA♭mythで、先ほどの2度上で主題が奏されます。

続くm.9はまた迷います。Cmythとしてもそこそこうまく入ります。実際、m.10の右手小音符がm.7のそれから短三度上昇していることから考えると、根音がAes→Cと動いたと考えるのも自然です。
一方、素直にm.9をEmythと考えると同小節のCisも説明がしやすいので、この考え方を推します。ここのCisをm.10にて繋留音とし、Dへ上方変異することで滑らかにCmythに移行するという算段です。
この間、聴感覚的には殆ど和音が変わった感じがしません。長三度下の関係にあるEmythとCmythは構成音が近いため、こういう移り方が可能なのですね。他にも神秘和音同士で近しい関係を見出すことができそうですので、いずれ考えてみたいと思います。

さて11小節目でCmythのバスにFが入ります。後期作品はV-Iが聴き取れないとは言いましたが、無くなった訳ではなくm.10-11でC-Fの形を取っています。しかし単純にバスを付加しただけであり解決感は全くありません。本来、属七の解決は第三音の上行(G7-CならH-C)を必要とするわけで、ベースがV-Iの形であるだけでは全く不完全ですからね。
こうした、単純に五度下を付加しただけの見せかけの「解決」は前作Op.57-1ラストでも用いられていることは見逃せません。古典和声に気を配りつつ無調の浮遊感を志向したスクリャービンの思索が見て取れます。

さて、16小節目で始めに回帰しますが、今度ははっきりとFisが根音になっています。段々と根音がはっきりしていく様子は面白いです。

最後も根音はFis-Hの動きであってV-Iの関係をなしています。しかしこちらも上部に変化がない、「見せかけの解決」です。

まとめ

今まで神秘和音の括りでスクリャービンを分析することに懐疑的でしたが、案外この曲に関してはうまく行きました。やりやすかった理由は、和声の連結の概念が無いからでしょう。唯一Emyth-Cmythが連携していますが、和音が大きく動いたという印象は受けず、同じ機能内で移動しただけという聴感覚です。
すなわち、この曲では属音、主和音といった和声の機能というものが殆ど考慮されていません。浮遊感の表出のためだけに神秘和音を用いています。他の曲は神秘和音に向かってさまざまな連結が試みられており、おそらくはこう単純にいきません。

しかしこの曲だけでも神秘和音の使い方が幾つか示されていますので、ここまでの議論をまとめます。

  • 根音は初めから直に示されておらず、根音を省略して増四度上=増四度下をバスにした形がまず示される。すなわちF#myth/C

  • 3度下の神秘和音は構成音が近いためほぼ違和感なく移行可能

  • 神秘和音の一種の「みせかけの解決」として、シンプルに根音の5度下を付加する用法が行われている。

なお1番目の解釈について、先ほどは色相環なんて世迷言を述べましたが、より実際的にはM7-5の和音の変形と見ることができると思います。これについては追記するか稿を改めて論じます。

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