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第一次世界大戦時のドイツ軍の暴虐行為の報道

古い新聞に目を通していたら、第一次世界大戦時のドイツ軍の暴虐行為の報道を見つけ。
思うところあって、以下に書き出してみることにしました。

先に書いておきますが、これは現在のドイツ国、あるいはドイツ軍のイメージを低下させようという意図によるのではありません。

では、どういう意図で?……ということについては、引用のあとにまとめて書きます。

まずは記事の引用から。

・漢字を新字体に直したり、仮名遣いを改めたりといったことをしています。その他、細かい凡例をつけようと思えばつけられますが、今回はあえてパス。
・歴史資料なので、今日的にはキツく見える表現もそのまま引用します。

大正4年(1915年)1月10日づけ朝日新聞https://dl.ndl.go.jp/pid/12229238/1/208
(国会図書館のアカウントをお持ちの方は上記リンクで当該記事を読めます。なお、トップ画像は当該記事です。)


欧洲大戦乱

ドイツ対聯合軍

▲独軍暴虐実例 八日タイムス社発

▽仏国首相の言明

パリ来電=独軍が仏国に於て行える兇暴無残なる行動を調査する為めに任命せられたる委員会は其第一回の報告を提出したり之に就き仏国首相は言明すらく最も[厳]厲なる吟味を経たる證[拠]に基きて判断するに凡そ掠奪、虐殺、放火、強姦等は敵が尋常茶飯事とする処にして所在の村民は其家庭団欒の中より攫われて俘虜としてドイツに護送せられ老齢又は病弱の者にして行歩に堪えずして路傍に落伍する者の如きは之に向て銃槍を揮い又は足蹴となして死に至らしめたる事決して稀ならず多くの塲合婦人小児の類は交戦中ドイツ軍隊の前面に障屏として立たしめられたりナンシーの東南ゲルベヴィレなる一村に於ては四百七十五軒の民家中戦闘後居住に耐うべきもの一軒も残存せず住民の一百人は行方不明となれり此村に於て若干の独兵一民家に闖入し赤十字の腕章を有する一人を捕えて其両手を縛し街上に於て之を射殺し且年老いたる其両親を捕え其面前に於て愛子の死体に石油を注ぎ之に火を放ちて立ち去れり又他の一村にては一婦人独兵の為に其貞操を蹂躙せられたるが其際其夫と子供等は隔ての戸を開放ちたる隣室に監禁せられたり其他に於ても家庭の母にして其子女の見る前にて兇暴の行為を敢て為られたる者亦其例三五を越ゆ又十一歳の少女と頽齢八十九歳の婦人とは程遠からざる塲所にて蛮行を縦(ほしいまま)にせられたる実例もあり又ナンシーの北ノメニーと云う所にては独軍は兇悪至極なる状態にて入来り掠奪放火虐殺終日に及べり一村家にては家族は隣人と共に地窖内に集りいたる処五十人余りの独兵来りて其家に放火し難を避けんとて屋内より出ずる者は次ぎ次ぎに之を射殺し数名の小児も婦女も免るる能わざりき



先に大前提として書いておきます。
いわゆる「虐殺事件」の報道とかの中には、時に疑わしさを感じさせるものも混じります。
とは言え、合理的・確実な根拠もなく「捏造」と決め込むことは厳に避けねばならないでしょう(報道が真実であり、実際に犠牲となった人達がいる可能性を鑑みれば。その人たちの無念の想いを無下にすることだけは絶対に避けねばなりません)。

ただ、その一方で、上の報道を見て、私がこう感じたことも事実です。
こうしたことに関する筆法というのは昔からまったく変わらないのだなぁ」と。

* * * * *

ところで、上の記事について、もう少し時代色などを見ていきますと。
日本人には第二次世界大戦の際の関係から、ドイツに対し「友軍」的なイメージを持つ人が多そうです。
しかし、第一次世界大戦においてはドイツは敵国でした。
(この記事を引き合いに出した理由は主にそこで。「友軍」イメージもそれなりにある「敵国」というのは、この種の話をする上で何より大切な客観視を確保しやすい対象ではないかと思ったのです。)

ついでながら、上掲の記事が出た時点では、日独間の主だった戦闘はもう(結果的に言えば)終わっていました。
有名な青島の戦いでドイツ軍が日本軍に降伏したのが、1914年(大正3年)11月7日。
とは言え、ヨーロッパの主戦場ではその後さらに何年も戦争は続くわけです。

さて。
敵国であるドイツのことですから、日本の新聞にとって、その悪行ぶりを書き立てることに、遠慮もいらなければ特段の規制もなかったことでしょう。
(一方で。もしフランス軍の蛮行についてドイツの新聞が取り上げていたとして、それを紹介するモチベーションや自由がどれほど当時の新聞にあったかは、考えてみる必要があるでしょう。)

* * * * *

ここに書かれたフランス発の情報が、どの程度正確なものだったか、ないし、プロパガンダ混じりだったか、については私は何も語れません。

ただ、私自身はこの記事や、これまでに見てきたことをもとに
──きっと以下のようなことは言えるだろうと考えます。

* * * * *

・結局どんな戦争でも、こういう蛮行は(悲しむべきことに)ほぼ必ずおこる。

・あるいは。「敵軍がこういう蛮行をした、という報道」が、ほぼ必ずついて回る。

・一方で、自軍・友軍については、そういった報道は滅多になされない。仮になされても、それを「ウソである」とする主張が大々的に流布される。

・報道のようなことが実際に起こったのか、ただのプロパガンダなのかは、一般人はリアルタイムでは到底判断できない。

──もちろん理屈を言うなら。

 ・それが実際にあったのなら、実行者を大いに非難し、可能なら処罰し、また再発を防ぐ手立てを考える必要がある。

 ・実態のないプロパガンダ(虚偽の「蛮行の否定」を含む)なら。そのようなウソをついた者を、人心を惑わした罪で大いに糾弾し、可能なら処罰せねばならない。

……ということになるのだが。

・こうした報道で「権威筋」が狙っているのは、往々にして「自国の戦争遂行への民衆の支持の取り付け」である。

・「蛮行を許さない」ことは大切(絶対に必要)だが、そうした報道に接して「敵国の奴ら許せない。徹底的に戦ってやるぞ」等とヒートアップすることは厳に慎まなくてはならない。

・少なくとも「このような蛮行は歴史上かつて見られなかった」などということを言う人がいたら、それにははっきりノーと言わねばならない。
それは端的に間違い、ないし、大嘘であるから。

・「蛮行を非難する」気持ちを利用して、あなたの戦意を駆り立て、戦争の盲目的な支持者にさせようとする試みには決して屈してはならない。

・(繰り返しになりますが)それでも、蛮行の犠牲になった人たちの無念の想いを無下にすることだけは絶対に避けねばならない。

・単なる「俺の直感」みたいな根拠で「虐殺があった」とか「なかった」とか断言する人には、絶対に信を置いてはならない。なお、これは「健全な懐疑の念を内心に保留する」ことを否定するものではない。それはむしろ重要である。