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「グリーンスリーヴズ」「怒りの日」…聴いてる人が(実は)少なそうな名曲2つ+α

前置き


「クラシック音楽好き」な人ならメロディくらいはきっと聴いたことがあるはず。
──なのに、意識的に鑑賞されることは案外と少なそう。

今回はそんな、いわば「盲点に入っている」(?)ような曲を2つばかり取り上げようと思います。
「グリーンスリーヴズ」(+オマケ)と「怒りの日」

これのどこが盲点だ!?とお思いになる方もきっといらっしゃるでしょうが。
以下の文章や動画をご覧いただければ、私の言わんとすることも(ひょっとしたら)ご理解いただけるかも、と期待するものです。

グリーンスリーヴズ

"Greensleeves"

「緑の袖の人」と訳すと、何だか少女まんがっぽいかも?(笑)

このチューンは、気のせいか、電話の保留音としてやけによく聞く気がします(個人的なイメージ)。
なので、それこそ「曲は知ってるが、タイトルは知らない」なんていう人すら結構いたりするのかも。

まぁさすがに「音楽好き」を自認するほどの人なら、曲名ぐらいはきっと知っているでしょうが。

「ちゃんとそれっぽい録音で」
「歌詞の意味もしっかり把握しながら」
鑑賞したことのある人となると、一気に数が減ってしまうのじゃないかと想像します。少なくとも日本では。

細かい理屈を述べるより、まずは動画を貼ってしまいましょう。

Wikipedia を参考にするなら、この曲は16世紀の「民謡」(=作曲者不詳の歌曲)ということになりますが。

その時代の英国の歌曲なら、リュート伴奏で、ちょうど上記の動画のように演奏されるのが、恐らくは「正統的」ということになるのではと。
歌詞の内容や、その解釈については、上のWikipedia記事のほか、以下のページの解説が割合しっかりしていると思います。


ルネサンス期の服飾では、袖は身頃と別々に仕立てられたため、付け替えが可能であり、本体とは独立した一対として扱われていた。そして、この袖を恋人同士の愛の証として交換する風習があった。つまり、歌詞リフレイン部の(振られた男性の手元に残る)袖は、相手女性そのものを指している。

Wikipedia 記事「グリーンスリーブス」より


ここで動画をもう一つ。

演奏によって、微妙に音の取り方やなにやらが変わってくるのは、「民謡」としては自然なことかもしれません。もちろん、演奏者の好みによる「色づけ」という面もあるでしょう。

【追記1】
故・桜井雅人先生(一橋大学名誉教授)の興味深い論文 《「グリーンスリーヴズ」について》をネット上にみつけましたので、下に貼っておきます。


(オマケ)


ここで、私の好きな16世紀のリュート伴奏歌曲を、おまけに一つ。

フィリップ・ロセター (1567 or 68 - 1623)の "When Laura Smiles" (ラウラが微笑むとき)。明るく親しみやすい曲だと思います。

下は歌詞の対訳ですが……

VとUをあまり区別しなかったりする昔の綴りをそのまま引っ張っているようで、正直読みづらいです。なので、もう一つ別の歌詞サイトを。及び、ロセターのWikipedia 記事。

この曲の作曲時期は「グリーンスリーヴズ」とそこまで大きく違わないと思われますが、こちらは作曲者が分かっているので、「民謡」とは呼ばれません。

別の演奏をもう一つ。



怒りの日

"Dies irae"

いきなり雰囲気が変わって(重くなって)すみません。

これも理屈を云々する前に、まずは動画を貼ってしまいます。

この曲も、クラシック音楽好きの人なら、メロディにはきっと聴き覚えがあるものと思います。楽曲中で「引用」されることしばしばですから。

しかし、この曲も「本来の演奏形態」で、「しっかり歌詞にもあたりつつ」鑑賞したことのある「日本の好楽家」となると、そこまで多くないんじゃないかなぁと思い、あえて取り上げてみた次第です。

歌詞(対訳)については次の Wikipedia 記事(レクイエム)から「構成と典礼文」の項、「続唱 (Sequentia)」の部分に載っています。

ここで動画をもう一つ。こちらは途中までですが。

ちなみにこの曲、しばしば「グレゴリオ聖歌」と書かれますが、正確にはセクエンツィアです。

(「セクエンツィア」って何、というような話については、この記事の最後に説明のリンクを貼っておきましたので、適宜ご参照ください。)

* * * * *

何かの音楽解説で「この曲が西欧人(あるいは、少なくとも中世の西欧人)の死生観に与えた影響は極めて大きい」というような記述を読んだ記憶があります。
実際、そうなのだろうと思います。

変な例えかもしれませんが……。
例えば、平家物語の冒頭のフレーズ(「祇園精舎の鐘の声」、云々)が日本人の死生観に与えた影響、これは決して小さくないだろうと思うのですが。
「怒りの日」が、西欧の人々に与えた影響は、それよりもっとずっと大きいものと考えられます。

(なお、メロディ的に言って、この曲、他のセクエンツィアとは一線を画す魅力があると思います。……などと言ったら、真面目な信者の方からはお叱りを受けそうですが。
宗教曲といえど、やはり音楽的に秀でた曲は、奏されることも多くなり、人々に与える影響もそれだけ多くなることは争われない事実でしょう。
「祇園精舎〜」のフレーズにしても、「平家物語」が大して面白くもない作品だったら、とっくに忘れられ、顧みられることも稀になっていたのでは。芸術性の高低というのは、あるメッセージがどれだけ広まるかを決定づける要因である、といったら言い過ぎでしょうか?)

ところで、上で紹介しました「怒りの日」の一つ目の動画。このYouTubeチャンネル「GradualeProject」は、グレゴリオ聖歌をすべて録音しようというプロジェクトであるようです。
その気概を諒とする方はチャンネル登録などしてみるのも良いかも。

* * * * *

「怒りの日」引用の例。

ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」(«Рапсодия на тему Паганини для фортепиано с оркестром»)。

下は自作自演の録音。「引用」が出てくるのは3:23あたりから。

(この曲の場合、主題を「変奏」したらこのチューンになった、という現れ方?)

* * * * *

◆「セクエンツィア」とは

(上の記事には「セクエンツィア」の説明のほか、ベルリオーズ「幻想交響曲」での引用例なども紹介されています。)



【追記2】
本記事を書いたあとで、ソラブジ(Sorabji)の「『怒りの日』によるセクエンツィア・シクリカ」という「すごい曲」があるということを知りました。
どう「すごい」のかということは、次のサイトで熱くレビューしている方がいらっしゃるので、それを見ていただくのが一番飲み込みやすいかも(?)。

(CDの販売自体は終了している模様)

あと、もう少し穏やかな(?)レビューとして。

さて、この「長大な」作品、なんと「Brilliant Classics」の公式YouTube チャンネルにて公開されています。

今度、試し聴きしてみようかと思います(微苦笑)。


※トップ画像。
左の肖像画はhttps://commons.wikimedia.org/wiki/File:Bronzino_-_Florentine_Noblewoman,1540.jpg
より。
右の肖像画は
https://www.nga.gov/collection/art-object-page.46155.html
より。