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吉田秀和「LP300選」(「名曲三〇〇選」)で言及のある書籍など

一連の「『LP300選』関連記事」を、「マガジン」(書棚的なもの)にまとめました。以下にリンクを貼っておきます。
トップに固定した記事に、全体的な前置き、凡例的なことを書いていますので、できれば、そちら[を先に/も後で]ご覧ください。


今回はちょっと特別編です。


タイトルは、本当なら

吉田秀和「LP300選」(「名曲三〇〇選」)で言及のある書籍を国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧する

……などとしたいところなのですが、さすがに長すぎますね(^_^;)。

さて、この記事の趣旨です。

「LP300選」には、それはたくさん音楽書・芸術書などからの引用が出てきます。

しかも、この本は半ば、学術書みたいなところがあって、かなりの部分、出典が記してあります。

その本を「国立国会図書館デジタルコレクション」(以下「デジコレ」)に探してみようというものです。

これはこれで、私の最近の記事に多い方向性のもの。「そっち系」の記事も別途、マガジンにまとめています(下に貼っておきます)。トップ固定の記事には参考になりそうなことも書いていますので参考にしてください。

端的に書くと、「デジコレ」の閲覧には国会図書館のアカウント作成が必須です。オンラインで登録可能。無料。

* * * * *


以下、前半は書名が明記してあったり、そうでなくても分かりやすかったりする資料の一覧。
中には「単にちょっと名前が挙がっただけ」という感じのものもありますが、区別せず掲げておきました。

後半は、あまり引用元のはっきりしない引用とか、ほんの1フレーズだけの使用とかいったものを、念のために拾ったものです。

* * * * *

全集などで書名が「LP300選」中のタイトルとは違う場合、「LP300選」文中のタイトルを先に書き、書名はあとに追記する感じにしました。

「LP300選」の刊行後に邦訳が出ているというパターンもありますが(この場合、吉田氏は原書にあたっているわけですね)、前後関係とかの話を云々することは避けました。

「デジコレ」に当該の本が見つからなかった場合、ダミー的に(?)類書を置いたりもしています。

並びは新潮文庫「LP300選」文中の登場順(それぞれのパートごとに)。ページ数もそれに依っています。

【付記:2024年現在で現行の、ちくま文庫「名曲三〇〇選」を図書館で借りてきました。そちらでのページ数も [ ] に入れて併記することにします。】


なるべく漏れのないように気をつけましたが、それでも見落としはあるかもしれません。

(「音楽史 : グレゴリオ聖歌からバッハまで」(MM)と「耳による音楽史」(HMS)は、本体記事の方でさんざん触れましたので省略。=p37[45]と巻末リスト)

「LP300選」(名曲三〇〇選)中の引用書籍


p9[10] アンドレ・マルロー「空想の美術館」新潮社
【東西美術論 第1 (空想の美術館)】

※なお、ここにある「ベデカー」という言葉について。

ベデカーは有名なドイツの旅行ガイドのシリーズでした(今日の日本だと「地球の歩き方」が近いか?)。

知名度も、きっと質も高かったのでしょう。いつしか、ガイド本を指す一般名詞のように、「ベデカー」の語が使われるようになったようです。ここでの記述は、(吉田先生が生きた)そういう時代の残り香を感じさせるものと言えるでしょう。

(本当の)ベデカーの1912年版「ロシア」がネットにあるのを見つけましたので(元はイタリアの図書館サイト? 「Link Digitized Volume」から無料でダウンロードもできます)、一種の参考として置いておきます。


p10[11] ハーバート・リード「彫刻の芸術」みすず書房
(→新訳)ハーバート・リード「彫刻とはなにか : 特質と限界」日貿出版社
(レッシング云々は上の書籍だとp376)


p11[12] シュワンのカタログ(Schwann Catalog)

米国のレコードカタログ。

また、英国には Gramophone Classical Catalogue というカタログがありました(今もあるのかは知りません)。
仏独にも同様のものがあった気がしますが、それぞれどんな名前だったか……。

*****

クラシック音楽の趣味にある程度以上深入りすると、国内リリースのレコードだけに頼っていては限界があるということがじきに分かってきます。
今でもそうでしょうが、昭和の時代には、一層そうでした。

当時はもちろん、ネットでの音楽配信などというものはありません。海外の通販サイトからCDを「ポチる」なんて、全くSFの世界の話でした。

実際のところ、大抵の人は「手に入らないんじゃしょうがない」と諦めたわけですが。プロだとか、「超」がつくようなマニアの人は、海外のクラシック音楽カタログをまず手に入れ、それを元に、「これ」というレコードを入手するべく骨折ったわけです。

(まぁ、そんな方法が視野に入るというだけで、並のファンじゃありません。情報のごく限られた時代です。ちなみに私はCDの輸入をほんのちょっと試したことがあるだけです。)

まぁとにかく、そういうカタログを運良く手にできたなら。日本で発売されているクラシック音楽のレコードなんて「本場」の数分の一、(やや大げさに言えば)「氷山の一角」に過ぎないのだということを一目瞭然に思い知らされてしまいます。
そして、(嫌な表現なのは承知していますが)「クラシック音楽好き」を自称する日本人のほとんどが、実はとても狭い音楽世界に生きていることも分かってしまうのでした。
(繰り返しますが、あくまで「昭和時代」の話です^_^;)

こんなブログを見つけましたので、参考に。


p13[15] クルト・ザックス「音楽の起源」音楽之友社
【音楽の起源 (ノートン音楽史シリーズ)】


p14[16] ボエティウス「音楽論」(=「音楽教程」"De Institutione musica")講談社
(見つからず)

"せっかくなので"、同著者の書籍「世界古典文学全集 第26巻 (アウグスティヌス.ボエティウス)」筑摩書房


p15[17] パウル・ヒンデミット「作曲家の世界」音楽之友社
(ケプラー云々は同書p15)


p17[20] A.アインシュタイン「音楽史」ダヴィッド社


p20[23] フーゴー・ライヒテントリット「音楽の歴史と思想」音楽之友社

下は旧版のようです。重要資料なのでこちらも。

音楽の歴史と思想 : 音楽はいかにみるべきか」国際出版社


p31[37] 伝フクバルト「音楽提要」(ムジカ・エンキリアディス "Musica enchiriadis")
(英訳はあるようですが、邦訳はそもそもない?)


p34[41] ゲーテ「ドイツの建築について」福村書店
【ゲーテ芸術論集】
(ケルンのドーム云々は上の書籍だとp197)


p35[42] ホイジンガ「中世の秋」創文社
(同書は他にも訳書あり)

p44[53] ベディエ, アザアル共編「フランス文学史」創元社(創元選書)

第1巻
第2巻
第3巻


p44[54] Gustave Reese, "Music in the Middle Ages", Norton, New York
(邦訳は存在しない? 原書はネットで閲覧可能。)

https://archive.org/details/reese-1940-music-in-the-middle-ages
あるいはhttps://archive.org/details/musicinmiddleage0002rees_y2k7/


p49[60] ダンテ「神曲」筑摩書房
【世界古典文学全集 第35巻 (ダンテ)】

p51[62]「万葉集」(大伴家持「うらうらにてれるはるびに」云々。万葉集巻19、4292)

次のようなサイトを見れば十分という気もしますが、

念のため。
万葉集注釈 巻第19」中央公論社(p.224)

p52[64] ダンテ「俗語論」河出書房新社
【世界大思想全集 [第1期] 第4 (哲学・文芸思想篇 第4)】


p60[73] P.H.ラング「西洋文化と音楽」音楽之友社
【西洋文化と音楽 (ノートン音楽史シリーズ)】

    

本文中では《Paul H. Lang, "Music in Western Civilization, Norton, New York》


《下の資料は1巻が見あたりません。》
p61[74] シェーラー「ドイツ文学史」創元社(創元選書)

第2巻
第3巻


p69[84] ボッカチオ「デカメロン」新潮文庫

新訳 第1
新訳 第2
新訳 第3
新訳 第4
新訳 第5

p127[158] 日本グラモフォン株式会社編「西洋音楽史 : アルヒーヴ・レコードによる音楽史」音楽之友社 (p89[109]でも少し言及)

  

p129[160] (「いつか私の訳した」)ロラン・マニュエル「音楽のたのしみ」白水社
(見つからず)……(なお、新潮文庫ではここの本文で人名の誤記あり。下記と比較。ちくま文庫版では訂正。)

"せっかくなので"、同著者の「オペラのたのしみ」白水社
(この本でも、話し相手は本文と同じナディア・タグリーヌ Nadia Tagrine です。また、「ロラン=マニュエル」の Wikipedia記事も参考になります。)

p137[172] ビュッケン
Ernst Bücken, "Musik des Rokokos und der Klassik"
(邦訳は存在しない? 原書はネットで閲覧可能。)

https://archive.org/details/diemusikdesrokok0000drer


p140[176] 小林秀雄「モオツァルト」筑摩書房
【現代日本文学全集 第42 (小林秀雄集)】
(関連箇所は上の書籍だとp198あたり)

p140[176] アンリ・ゲオン「モーツァルトとの散歩」白水社
(見つからず)

ただし、下の書中(p354〜358)にごく短い引用があり、それが関連の部分を含む。

吉田秀和, 高橋英郎編「モーツァルト頌」白水社

p147[184] ガイリンガー「ハイドン伝 : その人と生涯」月刊ミュージック社

本文中では《Karl Geiringer, "Haydn, a creative Life in Music", London, 1943》
(ガイリンガーはp128[159]でも少し言及)

p165[206] ロマン・ロラン「復活の歌」みすず書房
【ロマン・ロラン全集第24巻】
(見つからず)

"せっかくなので"、同著者の「ベートーヴェン/エロイカからアパッショナータまで」みすず書房


p238[299] シュトゥッケンシュミット「現代音楽の創造者たち」新潮社
(見つからず)

"せっかくなので"、同著者の「20世紀音楽 (世界大学選書)」平凡社


p321相当のページ(巻末リストNo.83の箇所。なお、本文でもp128[159]で少しの言及あり。)
ガイリンガー
Karl Geiringer, "Music of the Bach Family: An Anthology", ‎Harvard University Press
(詳細、今ひとつ分からず。邦訳は存在しない?)

なお、以下の本は一種の関連書か?

Karl Geiringer, "The Bach Family; Seven Generations of Creative Genius"

https://archive.org/details/bachfamilyseveng00geir/


その他、出典不詳の引用、細かい言及など


※名前の言及などは、気になったもののみ。

p10[11](音楽批評家オーリン・ダウンズへの言及)

p12[13](T・S・エリオットの言葉の引用)

p15[18](パスカルの言葉の引用)

p15[18](ポール・ヴァレリーの言葉の引用)

p16[19](ホルンボステルへの言及)

p16[19](芥川也寸志への言及)

p28[34](ルソーの発言の引用)

p48[59] 西田幾多郎の有名な哲学用語「絶対矛盾の自己同一」

……初出ということになると、私にはよく分からないのですが。

例えば次の本に「絶対に相反するものの自己同一」なんていう表現が。https://dl.ndl.go.jp/pid/1259070/1/114


p49[60](トゥルバドゥールのフォルケ・ド・マルセイユの言葉の引用)

p50[61](ジョフレ・リュデルに関する伝説の引用は「フランス文学史」によるもの?)

p50[62](アルフレッド・ド・ミュッセの言葉の引用)

p77[95](18世紀イギリスの史家バーネイの言葉の引用)

p77[96](マルチン・ルターの言葉の引用)

p88[109] 皆川達夫、服部幸三への言及(ほかでも名前の登場あり)

p101[125] モーザーの音楽辞典
H. J. Moser, Musik-lexikon

p106[131] フーゴー・リーマン(モーザーの音楽辞典中の引用による)

p107,145[132,182] クレッチュマー(詳細不明。音楽学者で Hermann Kretzschmar という人がいるので、その人かも。)

p124[154](中原中也への言及)

p127[158](野村良雄への言及)

p144[180](ハイドンの言葉の引用)

p148[185](ハイドンの手紙の引用)
【同じ引用が前掲の「モーツァルト頌」にも出てきますが(p51)、訳文はかなり異なります。】

p155[194](ブラームスの言葉の引用)
(この発言は「モーツァルト頌」には入っていませんでした。)

p157[196](ワーグナーの「第九」評)

p161[201](リストの「月光」評)

p161[202] ロマン・ロランのフレーズ「傑作の森」 

 ・この言葉の「出典」は知りたい気がしたのでネット検索しましたら、

ロマン・ロランが、1929年に発表した「ベートーヴェンの黄金時代ー英雄から熱情まで Beethoven. Les grandes époques créatrices : de l'Héroïque à l'Appassionata」 というエッセイで使った言葉です。

……との解説を見つけました(スペルを少し訂正)。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1330284643

これはちょうど先に掲げた「ベートーヴェン/エロイカからアパッショナータまで」のことではないかと思って確認したら、確かにそういう一節が。
「IV レオノーレ」の、割と冒頭近く。
《傑作の立ち並ぶ森のただなかで『レオノーレ』の第一稿は成長した。》(p128)

この本は原書も仏国立図書館(Gallica)で見ることができます(下にリンク)。
原書だとちょうど第2巻のはじめの方、p264。
(ページ数を1巻からの通しにしているので、そういう数字になってます。)

"Au cœur d'une forêt de chefs-d'œuvre a grandi la première Leonore."

翻訳中の「立ち並ぶ」の語は、訳文を整えるために加えられたもののようです。


p167[209](ベートーヴェンの評伝作家サリヴァンの言葉の引用)

p177[221] レンネルト(Günther Rennert)(演出家)への言及

p183[229](加藤周一の言葉の引用)

p185[231](ニーチェの言葉の引用)

p185[231](ルネ・レイボヴィッツの言葉の引用)

p185[232](アンドレ・ジッドの言葉の引用)

p194[243] ニーチェのワーグナー評
「バイロイトにおけるリヒアルト・ヴァーグナー」「ヴァーグナーの場合」とか、候補は多そう。さしあたり、
ニーチェ全集 第4巻」理想社
ニーチェ全集 第13巻」理想社

p198[249](ブラームスの複数の言葉の引用)

p205[258](アメリカの音楽学者ニューリン(Dika Newlin)のウィーン音楽の系譜についての考えの引用)

p241[304](ソ連共産党中央委員会のショスタコーヴィチ「第九交響曲」非難への言及)

p248[312](オネゲルの言葉の引用)
(なにかの本で読んだような。オネゲル「わたしは作曲家である」だったか、吉田秀和先生の別の著作だったか?)

p253[319](シェーンベルクの言葉の引用)

p255[321](シュトゥッケンシュミットの1959年9月18日のNHKでの放送の言葉の引用)

p257[323](ウィーンの批評家カール・クラウスのフレーズの引用)

p260[328](メシアンのフレーズの引用)

p262[330](メシアンの言葉の引用)

p262[330](ジョリヴェの言葉の引用)

p272[343](フランスの詩人ピエール・ルイスの発言の引用)

p274[344](斎藤十一への言及)

p274[345] 以下の献辞的な部分で名前に言及:(人名は「全集」第七巻を元に)

佐藤章(NHK音楽部)
平岡倫子(日本楽器東京支店)
杉浦康平(装幀)
片岡(新潮社出版部)
佐川吉男(批評家)
木村重雄(批評家)
白井重誠(『芸術新潮』編集部)

「全集」巻末の〔著者付記〕で言及
内山俊夫(新潮社)
壱岐邦雄(『ステレオ芸術』)

柴田南雄、皆川達夫は本文中でも登場

これで吉田秀和先生の浩瀚な知識に一歩でも迫れれば、です。



本書の成立

(白水社版全集第七巻巻末の「解題」より)

昭和三十四年の一年間、『芸術新潮』に「現代人のためのLP三〇〇選」の題で連載され、その後『私の音楽室』と題されて昭和三十六年四月、新潮社より刊行。

(ちくま文庫の巻末記載より)

この作品は一九六一年四月、『わたしの音楽室』として新潮社から刊行され、一九八一一年二月、『LP300選』の題で新潮文庫として刊行された。