第三の手紙:久坂蓮(日本―フィンランド往復書簡)

 あらかじめ文通をとりきめていたにもかかわらず、じっさいにあなたから返信をいただいたとき、すこし戸惑いをおぼえました。わたしがはなった声はでたらめな方角にとばされて、だれにもとどかぬままかたちをなくしてしまうようにおもえていたので、うけとめられ、はねかえってきたものが眼のまえにある状況をうまくのみこめず、いまもまだ、どこか浮遊したこころもち。「取りとめのない思考」とあなたはお書きになっていますけれども、わたしからすればその筆致はとてもおちついていて、もしかしたら一連のやりとりをひとつの「作品」としてまとめるさいにどのような体裁をたもっておくべきか、「芸術家」の視点である程度ことばを取捨していらっしゃるのではないかとかんがえたりもする。もっとも書簡というのは、要件をいくつかにしぼって適切な分量と伝わりやすさを前提に著されるものであって、無駄のおおい記述をしているほうがおかしいのかもしれませんが。

 きのう、日本郵便のホームページをみてみました。わたしたちの〈第一の手紙〉はパソコンの文章作成ツールをもちい、電子メールを介しておたがいへとどけられたわけですが(そして料金や到着までにかかる時間を考慮すると、以降もこの形式をつづけるのが妥当でしょうが)、いくつかのおたよりは便箋にしたためて、現地へおくってみたいと思案したりもするのです。私信を海外に送付するばあい、とりうる手段は航空便と船便があるようです。前者であれば四一〇円で五日程度、後者はより安価に依頼ができるものの、ひと月いじょうかかる。ですがわたしは、もし手書きの文章をあなたにおくるなら、後者をえらびたいとかんじます。貨物室につめこまれた郵便たちは波の振動にめいめいのからだをぶつけあって、しっかりと紙のおもてに定着されていたはずの書字たちは長旅のさなかに水けをすって濡れ、あなたが封をあけるおりには、紙面ははじめから引かれていた罫線をのぞいて、まっしろになっている。なにも書かれなかったのだという、いつわりの風体をかたどって。

 お返事のなかで、あなたは九月二日の朝にフライトを予約したと記していました。荷づくりがたいへんだったろうと想像します。たずさえてゆくことに決めた書籍の題名をさぐってみたくなるのは、本好きの悪習によるものですね。わたしはいまだに、日本からでたことがありません。パスポートのつくりかたもわからない。あなたが数ある国のうち、どうしてフィンランドをえらびとったのか、まだちゃんとおききできてはいませんでした。留学が渡航のおもな目的であるとはいえ、アメリカでも中国でも西ヨーロッパでもなく、「なぜ」フィンランドにあなたはゆかれるのでしょう。かりに偶然であったにしても、今後あなたのなかになんらかのとくべつな理由づけが兆してこないとはかぎらない。あなたのひとみの焦点は異国にどのような像をむすびつけ、「残されたフレスコ画」の延長さながら、どのように映像・テキストとして呈示し、さらにそれを「見」たわたしたちはいかなる解釈をほどこすのか、わたしのいちばんの関心は目下そこにあり、あなたが結論をさしひかえた疑問についても、ご自身なりの「答え」をみちびきだす経緯としてこのやりとりが機能してくれたらとねがっています。

 けさ、わたしもまた恋びととくらす愛知県から実家がある神奈川にむかう電車にのりこみました。あなたの出立とおなじ九月二日の朝です。JR東海道線で豊橋駅につき、いま、新幹線のなかで手紙をつづっている。
 くもり空のもとで結実まえのあおい穂なみを風にそよがせる稲のむれとそばをながれる用水路、鉄製の骨格をもったビニールハウス、羽根をまわす風車、遠ざかるほど霧にかすんで薄墨いろにみえるなだらかな山脈、山すそにしつらえられた相似形の家屋たち、えんえんと列をなしたソーラーパネルが視界にとびこんできて、わたしは発電所の規模のおおきさにおどろきました。「ようこそ、ここは浜名湖です」の看板とともに、さざなみだつ水面が車窓にひろがってゆく……。
 恋びとと同棲をはじめたのは、今年の六月からです。生物学的におなじ性別のひと。ようするにこの往復書簡は、フィンランドに留学にいったあなたと、愛知で同性の恋びととふたり暮らしをはじめたわたしとの奇妙なダイアローグを記録しているわけですね。

 ずいぶんと一方的にしゃべってしまいました。そもそもわたしたちがこうして会話をするようになったのは、両者ともに《ジェンダー》に意識をむけて表現をしていたことに端を発しています。前述のいきさつにかんしてはあなたのお手紙で、また触れていただければさいわいです。
 わたしがなんの気なしにかいたトーベ・ヤンソンについて、のちにあなたは彼女がいわゆるバイ・セクシャルであったと教えてくださいました。わたしはうれしかった。あなたのまなざしが加わってあたらしくみえてきたものがあること、おたがいのあいだで相互作用が生じた気がして。あらかじめゆきさきをさだめた旅路ではない文字の往還が、どこへわたしたちをはこんでくれるのか、いっそう楽しみになりました。
 
 あなたを載せた飛行機はいまごろ国境を軽々ととびこえて、めあての土地へとあなたをみちびいている最中でしょう。掛川駅をすぎてからこちらは小雨がふりはじめました。雲のうえの航空路はお天気でありますように。
                               
          2021・9・2 久坂 蓮

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