第十の手紙∶乾真裕子(日本―フィンランド往復書簡)

 蓮さん、とても大切な記憶を私に教えてくださってありがとうございます。あなたからのお手紙を読んで、第四の手紙のときには書けなかった、私が他者との断絶を感じた一番根源の経験を、あなたにお伝えしたいと思いました。
_____

 私はタクシーの中で、「まゆ、なんか言ってあげて、ほら!」という声を携帯電話を通して聞き、一体この状況で父に何を言えばいいのか分からなかった。困惑していたわけではなく、病室で生を手放しかけている父に、この離れたタクシーの中から私が何を言えばいいのか、私が何か言ったところでそれが何になるのか(おそらく声をかけたところで父の病気は良くならないだろうし)が分からなくて、比較的冷静な気持ちで、どういう言葉を言えばいいのだろうと思っていた。結局、とっちゃん、もうちょっとやからちょっと待っててな、と言ったように思う。
 病院に着くと、タクシーの料金は二万円だった。たかっ! と思った。病院の前で待っていてくれた二番目の兄が運転手さんにお金を支払ってくれて、二人でエレベーターに乗った。すると彼は、私の頭に、ぽんと手を置いてきた。そのとき私は、普段から喧嘩ばかりしている彼がどうして急に私の頭を触ってきたのか分からず、やめてよというように彼の手を振りほどく仕草をした。少し年月が経って、あれは優しさだったのだと分かった。
 私が病室に入るとタイミングよくすぐ後から医師が来て、「ご臨終です」と言った。母の体勢が少しだけ崩れ、手で顔を覆ったのを見た。

 思春期に親が死ぬというのはショッキングなことだった。当たり前に自分のそばにずっといると信じていた父という存在が、私の許可もなくたった一人で死んでいった。一方的に繋がりを断ち切られた感覚すらあった。死とは「個」に訪れるものである。そして死は、父と私との記憶や関係性や手の温度や父がふざけて私の顔にひげを当ててくるときのあの感触などすべてを、暴力的に奪っていくものだった。私は、父が死んで、父と私は違う個体の人間だったのだと初めて知った。

 父がいなくなって、私は何よりもまず「同情されたくない」と思った。そして次に、「強くならなければ」と思った。父親がいない子供として生きるためには、他人から同情されないように強く生きたいと思った。
 今振り返ると、大げさだなと呆れてしまう。ただ当時は、強さを追い求め、演じることによって自分を保っていた部分が確かにあったので、この強がりな行動を簡単に否定したくはない。むしろ、当時の自分を抱きしめてあげたいとすら思う。

_____

 (ちなみに、私の父は歯科医でした。前回のお手紙を読んで、偶然の繋がりに驚きました。いつかまゆこも矯正やらなあかんなと言われていたけれど、結局父の手によって私の歯並びが矯正されることはなく、別の歯医者さんで矯正をしました。だから、私もあなたの辛さがとてもよく分かります。矯正したての頃、固いものは食べてはいけないと言われていたのですが、マクドナルドのポテトがどうしても食べたくなって一人マクドナルドへ入り、Lサイズを買いました。カリッと揚げられたポテトを歯で噛みしめた瞬間、この世のものとは思えない変な種類の痛みが歯と歯茎に襲いかかってきました。)

 強くならなくてはいけなかった私は自然と、「強い女性像」に心惹かれはじめました。黒々としたアイラインを跳ね上げるように長く引き、暗めの赤い口紅を塗り、爪先まで底がしっかりとあるヒールの靴を履き、少しパンクの要素が入った服を好んで選びました。あなたは、メイクの工程が「強迫観念に似て」るとおっしゃいましたよね。私は、メイクに対して一種のロールプレイや変身のような感覚を抱き、それを楽しんでいました。このようにして、ネット、雑誌、広告、ミュージックビデオ、映画などのメディアに溢れている「強い女性像」に自分を近づけていきました。そうすることで、自分を守る鎧を手に入れた感覚になりました。

 フェミニズムという言葉に出会った時期もその頃でした。高校生くらいでしたでしょうか。フェミニズムについて詳細に教えてくれる授業などが学校にはなかったので、自分で勉強していきました。そんな私が最初に出会ったのは、強くて完璧な女性像を讃えるような言説でした。当時の私は、そんな人たちに憧れました。しかし、自分で勉強していくにつれて、それも素晴らしいけれど、それだけを必死に追い求めるのは私のなかでの根本的な解決には至らないのではないかと考えはじめました。社会が用意した理想像に沿うために、時には自分の感情や時間を殺すことだって必要になってくるでしょう。資本主義の巧妙な構造に取り込まれている場合もあるでしょう。私が求めているものはこういった言説とは違うのではないかと考えはじめました。
 あなたがお茶の席で同席した、フェミニストと表明し不平等のかずかずをあなたに暴力的に聞かせたその人は、現状の男性優位社会で働き、「肉声をはなつ自由をしたたかにうばわれて、断続する悪意にさらされ」つづけながらも生き抜いていかねばならなかった人だったのかもしれないと想像しました。でも、何よりもまず、自分が受けた苦しみをそのまま下の世代につなげてしまうことほど悲しいことはないと思います。私も、自分が受けてきた差別構造を、無意識のうちに再生産してしまわないためにはどうしたらいいのだろう? どのようにして自分の中にある差別意識を自覚できるのだろう? と考えています。

 私がフェミニズムと関わっていくために自分なりに大事にしていることは、フェミニストでありながらフェミニズムを批判していく態度を持ちつづけることです。「《女性》にも《男性》にもくくれない、またくくりのうちがわでさいなまれているひとたちへの差別にはどのような認識をとっているのか」、「あらゆる性差別を排したばあいにフェミニズムという呼称は適しているのか」とあなたはおっしゃいましたよね。私も同じ問題意識を持っています。フェミニズムについて語るとき、誰が排除されているのか? と考えます。
 自分が今いる場所を把握するには、自分が影響を受けた思想や自分の発言、つくった作品を、できる限り自分で批判し、発展させていくことが必要なのだろうと思います。こうやって言葉で言うのは簡単ですが、それを実行するのはとても難しいので、私も今まで以上に本を読んだり、人と対話をしたり、沈黙を恐れずに生きていったりと、ずっと勉強していくしかないのだろうなと自戒を込めて思います。
 
 私は、フェミニズムを知ったからこそ今現在クィア理論にたどり着いたと思っているのですが、この二つは少々立場が違うものなのかなと最近思うのです。というのも、フェミニズムは《女性》の権利を主張してきた歴史があり、男女の差別構造を顕在化させるために《女性》とは誰かという定義をしてきた過去があると思うのです。一方でクィア理論は、アイデンティティを撹乱させることや、二元論への批判が含まれています。この二つをどう接続させればいいのだろう? と最近は考えています。クィア・フェミニズムという言葉もあるみたいなので、これからこの二つの接続点を探る、あるいは接続点はあるのだろうかと確認する作業をしていきたいと思っています。

 さて。あなたは名前についても言及してくださいましたよね。私の名前は「子」が付きます。これは日本の女の子によく付けられるものです。私の父は、女の子が生まれたら絶対に「子」をつけたいと母に主張していたそうです。名前の意味の由来としては、繭玉のようにまあるい雰囲気の女の子に育ってほしかったからだと聞いたことがあります。絹や繭のイメージが根底にあったようです。
 名前の由来の話をすると何度も《女の子》という言葉を書かざるを得なかったように、名前と性別の結びつきはかなり強いものだと感じます。私は数年前、自分が生まれたことは自分の意思と全く関係がないと初めて気がついた瞬間があり、生の暴力性を強く実感しました。名前も、その暴力性の延長線上にあるものだと思います。私は自分の名前に違和感を覚えたことはなかったのですが、自分の名前に「子」とあるために女性の名前としてすぐさま分類されてしまうことは少々気に入りません。父に対して、やってくれたなという気持ちが多少あります。さらに留学をしてみて、MAYUKOという響きは日本でしか馴染みがないものなのだなと、当たり前なのですが思いました。特に最後のKOが私の名前を覚えにくくさせているらしいので、こっちではMAYUと呼んでもらっています。
 あなたは前のお手紙で名前を変えた経験について書いてくださいました。名前はご自身で決められたのですか。また、その際にイメージしたことなどはあるのでしょうか。

 そして、河合隼雄さんについて言及してくださったこと、とても驚きました。『定本 昔話と日本人の心』をこちらへ持ってきており、ちょうど読みすすめていたところでした。この本の中で、「天地、父母等の分離以前の混沌たる状態」という言葉があり、とても興味をそそられました。私が求めているのは、このような場所かもしれません。

 お手紙がとても長くなってしまいすみません。この手紙は、スイスのチューリッヒで書いています。ヘルシンキから、ベルリン、ニュルンベルク、ミュンヘン、チューリッヒと旅をして、明日はジュネーブへ向かいます。旅の途中で感じたことや考えたことなども、また次のお手紙で書ければと思います。
 早いものでもう年末ですね。私たちが文通を始めようと決めたのは夏でしたでしょうか。随分と時間が経ち、こうして色んな話ができることを毎回とても嬉しく思っています。ありがとうございます。ではでは、良いお年をお迎えください。

    十二月二十八日 乾真裕子より

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?