第九の手紙:久坂蓮(日本―フィンランド往復書簡)

 リクライニング式の診察台によこになり、わたしは歯科医に顔をのぞきこまれています。おおきくくちをひらくよう命じる医師の手には銀いろの医療器具がしっかりとにぎられています。白衣とマスクとで厳重に身をよそおった他人のまえで、対照的に無防備な姿勢をとらされたうえ、からだの内がわへとつながるプライベートな空間をまじまじとみつめられる状況にわたしはいささか困惑をおぼえるものの、あーんという子どもだましのかけごえにまんまとのせられて、素直に下あごをひきおろしてしまうのです。こうなるともう観念するしかありません。名称もさだかでないステンレス製の用具たちがつぎつぎとくちびるのあいだにさしこまれ、歯に改変をしかけます。噛みあわせをととのえ、うつくしい弓型の形状をなす歯ならびへとみちびくねらいで一列にとおされたワイヤーがより太いものにとりかえられ、適切なちからをくわえるためブラケットにゴムの輪っかがとりつけられます。のどの奥にねばっこい唾液がたまってゆくのがわかります。慢性の鼻炎であるわたしは息ぐるしさに舌をうごめかせます。どうにか鼻から空気をとりこもうとすると、ふさがれた通路をむりにこじあけるために鼻腔はこっけいな呼吸音を発し、いっそうわたしは恥ずかしさにおそわれました。
 みずから望んだいきさつであるとはいえ、歯列矯正がこんなにも面倒なものだとは予想していませんでした。わたしは二〇一九年の十月から歯科大学の付属病院で矯正治療を開始しました。咬合のぐあいをはかる事前検査や、歯茎に意図的なすきまをつくる抜歯があったのち、じっさいに歯をうごかす工程へとうつります。二年がたちましたが、進みとしてはようやくおりかえし地点にたったというあんばいで、完全に装置をはずすにはまだまだ時間がかかりそうです。鏡をみるたび、くちのなかで醜悪にきらめくこれらの異物たちをすっかりとりのぞけた日には、どんなに気分が軽やかになるだろうとかんがえてしまいます。とりわけひとと会食をする予定があると、料理が金具のあちこちにひっかかるのを想像して憂鬱なきもちにかられます。始終じぶんの歯に違和感がつきまとっている状態は、けっしてこころよいものではありません。それは手枷のようにわたしをいましめて、しきりに我慢を課してきます。すでに途中まで施術に耐えてきたてまえ、とりやめようにも簡単にはゆかないのです。
 
 じぶんを縛りつけている事象のかずかずについて、良くも悪くももっと長期にわたってわたしに影響をあたえつづけているものがほかにもあるとおもいます。
 メイクをするようになったのは、全日制の大学を卒業し、通信制の大学に再入学して以降のことです。三年まえ、矯正よりもすこしさかのぼります。周囲をとりまく環境の変化は、あたらしいなにかをはじめるのに適しているとおもいます。
 洗面台にたち、クリップで頭髪を固定してゆきながら、わたしはじぶんのおもだちをあらためて観察します。額にはよくめだつしわがきざまれ、眼のしたには青いくまがかすかに浮かんでいます。なにより、くちびるのまわりからあごの裏にかけてまばらにひろがる剃りのこしのひげの跡がわたしの気をめいらせます。執拗にかみそりの刃をすべらせてもピンセットで時間をかけてひきぬいても、ある程度のながさにたっしていない毛は処置のしようがありません。ほんとうにこの顔のまま外をあるいていた時期があったのだろうかと、いまとなっては訝ってしまうほどです。
 順をふんでメイクをほどこしてゆきます。ぜんたいを化粧下地でむらなく覆い、点状に配したファンデーションを水けをふくんだスポンジでうすくのばしてゆきます。こころもち血色が改善されたところで、コンシーラーをかさねますが、わたしはひげをかくすためにいつも厚塗りをしてしまい、くちびるのきわであるとか、ほうれい線のあたりがいつもよれてしまいます。それでも心配で塗りこめずにはいられません。アイシャドウ、アイブロウ、眉マスカラ、リップ、ひとしきり化粧をおえたのちはヘアセットにはいります。ぜんぶの作業がおわるまで、すくなく見積もっても四〇分はかかります。
 念をいれて外見をつくりかえてゆく一連の道すじを、じぶんらしく生きるための行為ととらえるのも間違いではないでしょうけれど、体感としてはむしろ脅迫観念に似ています。頭髪をのばし、ピンクや青いろに染めるようになったのもこのころからです。かつての級友たちは、いまのわたしをみてもだれだかわからないはずです。詳細はここでは省きますが、つねにひとの視線におびえていた暗い過去の記憶を葬りさるためには、まったくの別人になる必要があるとわたしはかんじていました。 

 なまえを棄ててようやく、これまでの境遇を総身ときりはなせた印象があります。今年の六月三〇日、わたしは家庭裁判所からとどいた封書をかばんにつめて役場にむかいました。書状には名の変更にまつわるわたしの許可申立をみとめるむねが記載されており、市役所で手続をすませれば正式に戸籍名の変更がかないます。
 審査がすんなり通ったのはさいわいでした。裁判所の審判をうけるにあたり、わたしは通称名の【使用実績】おおよそ一年半ぶんと、クリニックで発行してもらった《性同一性障害》の診断書を資料として提出していました。【実績】とは変更後にもちいたい名義をじっさいに日常生活でつかっていた証左となる手紙や領収書・アルバイトさきの給与明細などです。名の変更を希望するばあい、通常なら五年から一〇年程度の実績が必須になるそうですが、《性別違和》ゆえの戸籍名変更で、医師からの診断書があれば、使用年数は多少考慮される例がおおいとインターネットにかかれていました。本音をこぼすと、わたしはずっとじぶんの性のありかたが《病気》ないしは《障害》と定義されてしまうことに抵抗をおぼえていました。ただ、一刻もはやくなまえを放棄したいのならば、上記の点には眼をつぶらざるを得ません。
 あなたはご自身のなまえにどのようなイメージをもっていらっしゃいますか。由来をきいたことはありますか。わたしは、男性であると即座にわかるようなかつてのなまえに、家族や友人にその名でよびならわされるつど、苦痛をいだいていました。悩まずにいられたら、どんなによかったかとおもいます。けっきょく、なんのひっかかりをもつこともなく、意識すらせずに過ごせるのがいちばんよい状態なのでしょう。
 
 あなたはさきのおたよりでフェミニズムにふれていましたね。「世の中にある差別構造を教えてくれ」、「その構造に対して、自分の声で異議申し立てをしようと励ましてくれた」運動であると。そのうえで「フェミニズムを踏まえ、それを継承した上で、私は女性という二元論的な分類についてもう一度考えてみようと思った」と、あなたはかいています。わたしは、さいごの一文に興味をひかれました。というのも、わたしはフェミニズムとどのようにかかわってゆけばいいのか、ながらくわからずにいるのです。その背景をつぎにおはなしします。
 だんだん時間が後方にのびてゆきます。五年まえ、わたしはつきあいでとある大学の教師とお茶の席に同席しました。教師はフェミニストを表明しており、会食のさなかにも、今日までに《女性》がこうむってきた社会的な不平等のかずかずを熱烈なくちぶりでわたしにきかせ、さらにはわたしに《男性》がわとしての意見をもとめてきました。弁舌にはとげがあり、こちらを責めたてる調子をもっていました。ひじょうにくるしい、おそろしい一幕でした。あまつさえその場にはわたし以外に生物学上の男性がいなかったので、おのずと狙いうちをされる構図になってしまいました。
 たしかに当時のわたしは化粧もしておらず、はたからみれば疑う余地のない《男性》だったのかもしれませんが、いまとおなじく性自認は《男》ではありませんでした。母親とごく少数の親友にのみカミングアウトをしている段階でした。追跡をのがれるためには、わたしはむりやりに自身の性自認をさほど親しいわけでもないひとたちに告白するほかないとおもわれました。さもなければ黙ってうつむくか。わたしは後者をえらびました。
 
 肉声をはなつ自由をしたたかにうばわれて、断続する悪意にさらされている。差別とは、くだんの様態をさすようにわたしは推察します。ところで、わたしは、男の子なんだから~しなさいという台詞をしばしば浴びせかけられてきました。男の子だからこのいろが好き、この遊びのほうが好き、おそらくすべて、女の子、といれかえた口上も世間では往々に発せられていることでしょう。フェミニズムはラテン語femininusの語源がさすとおり、《女性》の権威回復を軸にすえているおもむきがありますが、《女性》にも《男性》にもくくれない、またくくりのうちがわでさいなまれているひとたちへの差別にはどのような認識をとっているのか、知りたいきもちがあるのです。
 きっとあなたもちかい問題にたちあっているのだろうと読みとれますが、いかがでしょうか。

 さらなる発展としてあなたは「動物表象」になんらかの手がかりをみいだそうとなさっているのですね。わたしは心理学の領域でもとくに『ユング心理学(分析心理学)』がすきなのですが、日本におけるユング心理学の第一人者河合隼雄さんも、異類婚姻譚をふくむ世界各地の昔話について、複数の著作をのこしていらっしゃいました。もしかしたら参考になるかもしれません(ただしアニマ/アニムスの概念は後継の研究者たちによって改変されつつあり、かれの考えかたは昨今としてはいささか古めかしい、男女二元論の視座にたったものです)。
 ユング心理学は《夢分析》もカウンセリングの手法にとりいれています。心理療法を開始してまもなく、心理療法家はクライエントから、ひじょうに印象深い夢をみたと報告をうける事例があるようです。あなたの夢も日中のできごとに呼応するきわめて示唆に富んだヴィジョンをたたえていますね。「じゃがいもの皮」はなにか意味を内包しているのか、気になるところです。
 本を読んでいて「“女は”という主語が頻繁に出てくることに気づき」、「しんどく」なったというあなたの著述、人称の問題は執筆のさいわたしも注意をはらうぶぶんです。とくにわたしは、〈かれは〉、〈彼女は〉、〈かれらは〉、といった、性別に言及している人称代名詞が好きではありません。可能ならもちいたくないものの、不自然になる箇所には挿入する以外に術(すべ)がありません。この書簡にも登場します。さしずめ、わたしは打開策となるじぶんだけの文体を確立する必要がありそうです。 
 他者との隔絶にまつわる述懐もたいへんおもしろく拝読しました。「こんなに心が通じ合った私達なのに、痛みというものが全く共有できないものであるという圧倒的な事実に打ちのめされ、それに対して笑うことしかでき」なかった。夢の件もそうですが、あなたのとりあげるエピソードにはなまなましい感覚がともないますね。読んでいて鮮明なイメージをおもいおこしました。

 さて、今回はわたしの記憶について一端をつづらせていただきました。文通のあいてがかりにあなたでなかったら、きっと手紙の内容は異なっていたのではないかとかんじます。わたしは以前よりもあなたの存在を散漫した無数の他者ではなく、ひとりの人間として意識しています。そうなるとかえって名まえでよぶのはこそばゆくかんじるのです。だけれども直接にお会いする機会があったら、わたしはだいじな友人をちゃんとなまえで呼んでみるつもりです。その日を心待ちに、いったん筆をおきます。

                      
                                     
             2021・12・9  久坂 蓮

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?