第七の手紙:久坂蓮(日本―フィンランド往復書簡)

 文通をはじめて気づけば三ヶ月がたちました。残暑は跡形もなくぬぐわれて、すっかり秋の気候です。しだいに日没のじかんがはやまってゆくのをかんじます。夜気はひえこみ、往来では外套をはおったひとのすがたもときおりみとめられます。わたしは実家からもらってきた電気毛布の電源をコンセントにつなぎました。
 金銭的なりゆうで、同棲中の部屋にまだ十分な調度をそなえられずにいます。郊外に位置し、築年数三〇年にせまるリノベーションマンションの下層階という特質じょう、居住空間のひろさにくらべるとずいぶん良心的な家賃設定がされてはいるのですが、恋びとがひとり暮らしでもちいていた小ぶりの冷蔵庫は調味料と飲料のペットボトルをつめただけでほとんど空きがなくなり食材の買いだめがきかないし、おなじくこじんまりした収納棚三つと足のみじかい机一脚、かろうじてふたりならんで横になれるソファベッド、二四インチのテレビをどうにかくふうして置きならべてみても、部屋はすきまだらけで、おまけにふたりぶんの日用品をいまあるラックに首尾よくおさめきるのは不可能でした。数日のうちに棚やら収納箱、たんすのなかに設置できる洋服掛けをあがない、ひと月後に冷蔵庫を買いかえ、と、貯蓄のないわたしたちにはだいぶ手痛い出費です。このあいだようやく書架を購入し、段ボールにしまいきりだった本たちの所在をおちつかせることができましたけれど、天井の吊り照明にかんしてはもうしばらく我慢がひつようです。さしあたり、わたしたちは複数の置きがたランプが灯すたよりないひかりで日暮れ以降をすごしています。良くいえばカフェバーの暗い店内ににた明度、とはいえずっととなると不便をこうむるおりも当然あって、いつかは解決しなければなりません。あなたはいかがでしょうか。そちらは日本よりもよほど寒さもこたえると想像いたします。
 恋愛相談にのってもらっていたアルバイトさきの先輩に同棲の予定をうちあけたとき、あまりにも性急すぎはしないかと心配されました。つきあって三ヶ月で同居をきめたので、しごくまっとうな反応でしょう。じぶんでも向こうみずな決断だったとおもいます。わたしはおびえていたのです。もしも時期をおそめたら、恋びとはいつのまにかわたしのそばを去ってしまうかもしれない。それはあまりにも耐えがたい、おそろしい破局です。どうしていつも、わたしはひとに見棄てられる未来を想起してしまうのでしょう。
 
 いわゆるLGBTむけのマッチングアプリで、わたしは現在の恋びとと知りあいました。ひとまとめにセクシャル・マイノリティであるとかLGBTQなどと形容されるひとびとの内実は、きわめて多様です。とりわけ【ゲイセクシャル、バイセクシャルの男性】むけに開発されたくだんのアプリケーションには、ほかに、出生時のからだの性別は女性であるもののみずからの認識する心の性別《性自認、ないしはジェンダー》が男性であり、恋愛の対象《性的指向、あるいはセクシャリティ》も男性である【FTMゲイ】や、身体的な性別は男性でも性自認は女性であり、恋愛対象は男性である【MTF】、特定の性を限定せず、あらゆるセクシャリティ、ジェンダーが恋愛の対象となりうる【パンセクシャル】など、さまざまな自己認識をもつユーザーがいました。現段階でマジョリティに分類されている、異性愛者【ヘテロセクシャル】にも相手への好みが存在するように、おなじゲイセクシャル、バイセクシャルの定義に該当する男性であっても、おさな顔で体毛のうすい中性的な同性が好きだったり、筋肉質の同性にかぎって好意をいだいたり、さまざまです。わたしは、自己紹介欄に【MTX】と表記をしていました。【Xジェンダー】、性自認が男性でも女性でもない中性、またはどちらでもある両性、時間や状況におうじてどちらにもなる不定性、そもそも男性/女性の概念にじぶんをあてがわない無性、等、このことばひとつにも複数のニュアンスがないまぜでふくまれています。【Xジェンダー】は日本で発展した区分らしく、海外では【ノンバイナリー】、そしてあなたがおっしゃった【クィア】とも称されます。ここまで読んで、性別にかんする語彙の入り組みようにあなたはとまどうかもしれません。わたしもまた、なんとか文字におこそうとしてはいますが、実はいいたりていないぶぶんがあるのではないかと心配になります。そもそも、ひとのこころは眼にみえない領域ですから、性自認についても明確に語義でつつみこむのは不可能です。これは「『言葉にできないもの』なんてこの世にあるの」かというあなたのひとつめの疑問をめぐってのわたしなりの見解につうじるとおもいます。わたしは「『ことばにできないもの』はたしかに存在し、むしろありふれている」とかんがえます。 
 もちろん、「言葉にできない」と「簡単に」断定してしまうのはあまりにも早計です。けれどわたしは、意外とおもわれるかもしれませんが、ことばをさほどは信用していないのです。言語化したさいに余剰としてこぼれおちてしまうものを意識してしまいます。むしろことばの脆弱さを体感し、あらい網の目をすりぬけてゆく感情の機微を、それでもどうにかことばですくいとりたいがために、わたしは文章をつづっているきらいがあります。いっぽうで、とらえた違和感に眼をそむけることなく、「言葉以上に信じられるものなどない」と反駁するあなたのひたむきな姿勢も、わたしにはまぶしくみえます。
 あなたのふたつめの投げかけ「この世に《ジェンダー》はあると思いますか」にたいしても前述をふまえ、この世じたいには明確な《ジェンダー》はなく、あくまでヒトの思考の枠組みをとおしてのみあらわれる、《観念上のジェンダー》が社会にはびこっているだけだとわたしは回答します。あなたのご友人とちかい意見です。ですので、「私にとってジェンダー平等とは、全ての人が、外部から規定された、あるいは自分で選択した諸々に関係なく、その生を生きていく権利を受け」ている状態をさすとあなたがおしえてくださったとき、たいへん納得したのでした。
 饒舌に書いてはいますが、わたしは内心では「外部から規定された諸々」にしばられており、だからこそ恋びとが遠くにいってしまう将来を予期してしまうのでしょう。しかし、一連の不安は外部のまなざしが変化すればほんとうに、きれいさっぱり消失するのか、そこにかんしてはなんともいえません。環境をかえるまえに、いかなる場にあってもじぶんを堂々と固辞できるようになることが、さしずめわたしの課題だとおもいます。

 わたしと恋びとは加工のほどこされたプロフィール写真とメッセージの文面のみをたよりにスマートフォンごしの交流をふかめ、あるていど日かずを経たのちに電話をかけあい、さらにいくらか間をおいて直接会う約束をとりきめました。なんだか平安時代の男女の逢瀬めいています。御簾(みす)にかくれてすがたがはっきりしないおたがいの輪郭を、風聞をたよりに想像し、気のきいた和歌をおくりあう。マッチングアプリと比較するのは失礼だと国文学者の野次がとぶかもしれませんが、往時はこうした恋文の送りあいこそきわめて《俗》な形式だったはずです。くわえて、どちらも書きことばが関係性の構築に重要なやくわりを担っています。
 
 平安時代のたとえから、あなたの〈月へは帰らない〉を拝見した感想をちょうどお伝えできそうです。この作品は、『竹取物語』において男たちの求婚をことわり月へとかえっていったかぐや姫を、家父長制にむすびつけていて、夫、ひいては夫の血統にしたがうことを暗に要求する家庭に身をおいた実の母親と、姫に扮したあなたの対話をとおし、「月へ帰る」、すなわち逃避する選択以外に現代の【女性】たちがとりうる生きかたを鑑賞者自身に模索させます。そこにはふるい価値観へ否(いな)をつきつける作者の問題提起もすくなからずこめられているのでしょうが、台本がないゆえにいっそう生(なま)の感覚をもよおさせるふたりの会話は、たんなる批判にとどまらず、夫のがわの苦痛、かれもまた連綿とつづく体制のなかにいましめられていること、家庭にとじこめられた妻もそうした人生を甘んじてうけいれている側面があると垣間みせ、また親子のかけあいが古語でなくあなたの出生地の方言を採用しているために、個人の物語が普遍的な主題の過干渉をまぬがれ、巧みなあんばいで共存しています。あまつさえ誇張されたメイクと若干チープな感のあるほつれ毛のめだつかつらは、ぜんたいの雰囲気に絶妙なユーモアをそえます。終盤は「月へは帰らない たとえひとりになっても」とうたい染める、あなたの歌でしめくくられていました。「私の生活の一部であり、疑いようのないほど必要不可欠なものである」あなたの歌の歌詞は、まえむきな志(こころざし)であかるく、やわらかな声と音の調子があいまって耳にこころよく沁みてゆきました。
 あざやかな赤い衣装に身をつつんだ、フェミニストを標榜する【女性】(この配役もあなたがつとめている)に、質問をなげかけてゆく〈自問自答〉は、彼女が嫌悪するステレオタイプな性別観を、彼女自身もまた男性たちにおしつけていた事実をつまびらかにします。
 ことさらに【】で強調しましたが、二作はおおむね視座を生物学的な女性のがわにすえてつくられています。これはすくなくともあなたが「《女》として他者から分類され」て生きてきたためにうかんでくる構図ではないかとわたしはおもうのですけれど、いかがでしょうか。
「私自身は私のことをどう思っているんだろう?と考えると、クィアという言葉に行き当た」ったとはなすあなたが「解体」の「作業」として今後とりかかる、もしくは現在着手している作品には、この性自認の変化がなんらかの影響をあたえそうですか。

 わたしが執筆をはじめた動機のひとつに、文体はじゆうに性別を越境できるというのがあったことを、だしぬけにおもいだしました。ある時期、文筆はわたしのくるしみをうけとめてくれる、生きるうえでなくてはならないものでした。あなたにとっての歌も、きっとそうしたものなのでしょうね。よくよくかんがえてみれば、わたしはあなたの過去をほとんど知らないのです。些細なできごとで、いえる範囲でかまいません。印象にのこっているいくつかの記憶について、あなたにおきかせいただけたらうれしいです。


         2021・11・16 久坂 蓮

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