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「推しの子」はめっちゃおもしろい。めっちゃおもしろいから深く理解したいっていう決意表明

久しぶりの没頭

 最近「推しの子」というアニメにドはまりしてしまった。もう頭から離れない。これはもう完全に推しの子の世界に住みかけているな……

 こういった経験は何度かある。わたしが初めてオタク文化にジャブったときは大学生になりたてのとき。ちょうど親元を離れて自由になったときだった。そのときにまず、虜にされたのが「ドメスティックな彼女」だったな。

 いままでの私の凝り固まった「マンガとは子供が見るもの」という昭和的な考え方が吹っ飛んだ瞬間だった。少しだけ両親を恨んだ。どうしてこんなおもしろいものに対して今まで冷ややかな視線を向けていたんだ!ってね。

 やはり親元を離れるのは、こういう色んな価値観に触れていくことができるという点でとても重要なことなんだと知った。

 結論。一人暮らしはいいぞ。

 話が逸れてしまったが。「推しの子」は間違いなく私の人生に大きな影響を与えていくんだと思う。

 しかし、コロナ禍のなか私は推しの子を単行本で買っていたが、6巻くらいでそれもやめてしまった。多くの娯楽のなかに埋もれていったのを覚えている。いつのまにか読むのをやめていた。

 このことを思い出して、やはり作品を伝える媒体というものは、こういった意味においてとても重要だということに気が付いた。

 それに加えて、自分の乏しい妄想力、想像力にショックを受けた。素晴らしい作品だったのに、なぜ6巻で読むのをやめてしまっていたのかって。

 やはりマンガというものは、それに対して豊かな感受性を持ち続けていないと、読み続けていく、何年も寄り添っていくというのは難しいものなのだろう。自分の想像力はこんなにも……。ここらへんでやめておこう。

 こうして「推しの子」について書きたいと思ったのは、作品をどのように楽しんでいけばいいか。それについて真剣に考えるようになったからだ。今まではとにかく色んな世界に浸りたい。いろんな作品を吸収したいという思い一心だったが、今ではより深くその世界を理解したい。人を理解したいと思うようになった。

 エンタメが飽和状態にある今。私のように次から次へと作品を流していく人は多いだろう。だから、いかに作品を自分のなかで消化していくか。この大切さを説いた本は、数えきれないほど出版されてきただろう。

 そして、今。私はまさにその重要性を身に持って感じている。

 というのも、私も創作をしたい。

 そのような視点を持ち始めた瞬間に。

 作品を深くよみたい。感じたいという欲望が今まで以上に、いや、はるかに上回って大きくなっていくのを感じた。

 やはり、作品というのは何かの目的、自分のなかでの位置づけというものをしっかりと意識した上で見ないといけないものなのだろう。

 作品を見ること自体を目的にしていてはいけない。それでは娯楽が娯楽のままとなり、エンタメ飽和の波に溺れてしまう。

 私はしっかりとした目的をもって今後、作品を読み取っていかなくてはならない。

 「推しの子」はそういった私の第一歩として、大切に読み込んでいきたいと思う。

 すてきな作品をありがとう。

 いつか私もそれくらいに素敵な作品を生み出せるように……

 楽しんでいくぞ!!!!



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