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毎日note続けてみて感じてることと、今更ながらフォロワー様にご挨拶。

なんか、ありがたいことに「note読んで泣きました」というお声をかけていただくことがちょいちょいあります。

この絡みづらいアカウントにお付き合いいただいてるだけでどうもありがとうございますという感じなのに、一緒に泣いてくださるって、身体のすごい深いとこで共鳴できた奇跡みたく思えてなんか嬉しいです。

簡潔にもまとめられない、読みやすい文章構成にもできない、嫌いな人には本当にオエー('A`)という感じであろう 感情のままに書き殴った文章しか置いてないこのアカウントにお付き合いいただいているみなさんには感謝とどうもスイマセンのおもいが溢れるばかりです。ほんとに。


わたしは、すごく自己中心的なんですけど、自分の奥の奥に響く文が書けたら わりとそれで幸せだなと思っています。最近はあまりできていないのだけど。

自分の奥のほうの淀みとかドロドロぐしゃぐしゃしたものを、言葉で表すことができるくらい自分で理解してあげられたら、未消化の思いって洗われるように流れていくから、言語化することで自分が癒やされてる。


書くときに一応決めてることがあって(最近はよく破ってるんだけど)、ネガティブなことは出来るだけ自分の中で頑張って出口を見つけて、問題解決や心願成就という形が見えてから文章にするようにしています。

短調から始まっても最後はほんのり長調で終わるノクターンみたくしたい。できれば。

リアルタイムで自分が悩んでることや つまずいていることを素直に具体的に書けたら、もっと可愛くておもしろくて親しみやすいnoteになるのかもしれないのだけど、びびりだから勇気がでない。


でも、悩んでることをある程度自分のなかで解決してから外に出すと抽象具合が自然にコントロールされながら文が出来上がっていくので、それは(自分のために書いたものだとしても)自分だけに向けられた文章ではなくなるので、そういう点はいいのかなと思っています。

だから具体的に体験していることは違っても、同じ感じの気持ちを持ってるひとが、わたしの気持ちを拾って共振してくれる。

そうおもうと、孤独とか悩みって人をひとりにしないためにあるのかな、なんてことを思うのだよね。


こんなことを言ったらきもいけど、このわたしの一番醜い部分をえぐりだしてなんとか体裁整えて並べたような文章に出会って、遊んでくださる方々のことはみなさんソウルメイトみたいに思っています。

すき♡とかコメントくださるかた、サポート投げてくださるかた、ご自身のnoteやTwitterでシェアしてくださるかた、ずっと前の記事まで遡って読んでくださるかた、Twitterや雑貨屋さんに遊びにいらしてくださるかた、みなさんに腹の底からのラブをお伝えしたいです。


なかなか自分からコメントしにいけずすいません。フォローもゆっくりですいません。

その代わりと言ってはなんですが、みなさんのnoteにおじゃましたときのすき♡のハートマークにはめっちゃ気持ち込めてるんで、感じ取っていただければ幸いです。

人見知りでもじもじしてしまうのでフォローしてくださる方々や話しかけてくださる方々にはほんとに感謝です。


本日は以上です。ご清聴ありがとうございました。

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