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ちょっと離れたところからの応援

#我慢に代わる私の選択肢  というお題を見たときに、私には書く資格のないテーマだと思った。

1つは私の虚弱体質にある。雪かきを手伝った翌日は風邪で寝込み、5分ドライヤーを忘れた翌日はお腹が冷えて力が出ない人間である。
もう1つは、すぐ顔に出る性格であること。自分を撮影する機会があったときに気づいたのだが、「あれ?ヘアバンドどこにやったっけ?」と小さなことを考えているときでさえ、眉間に深いシワがよっているのである。前々からすぐ顔に出ると他者に指摘されてきたが、ここまであからさまだとは思わなかった。

今回のコンテストにある我慢の定義は、以下のものであるが、

※「隠れ我慢」とは、心身の不調を我慢して、いつも通りに仕事や家事を行うことと定義しています。
https://www.tsumura.co.jp/onemorechoice/survey/

すぐに顔に出るし、体力のキャパが圧倒的に小さい私は「我慢」とは縁遠い存在である。

というわけなので、私は人様にあれこれ提案できる資格を持たない。でも、過去を振り返ったときに「辛いときにされて嬉しかったこと」なら書けると思い、久しぶりにnoteをとった。

まず、無言で渡された飲み物について。
精神的ストレスにより、職場で吐きそうになっていたときのこと。あまりにやばくて、椅子に座りながら天井を見上げていないと込み上げそうだった。
周りの同僚が「大丈夫?」「早退したら?」と声掛けをしてくれたのも嬉しかったのだが、一番記憶に残っているのは、無言で私の席に近づき、そっとペットボトルの飲み物を置いて、すすすと去っていった人のことである。
「大丈夫?」と問われると、大丈夫でも大丈夫じゃなくても何かしら反応をしなければならず、どういう返事をすべきかを考えることに力を使ってしまう。(あと、喋ると吐きそうになる)
一方、無言で置かれた飲み物はただそこにあるだけであり、私も返事をする必要がない。にも関わらず、私のために買ってくれたという気持ちを感じることができる。

2つ目は、利害関係にない人からの褒め言葉だ。
仕事に集中しすぎて、頭がピリピリするのを放置していたら出来物まで出てきて、さすがにやばいと皮膚科に行った時のこと。
医者が「帯状疱疹だね」と一言。そのあと「よくここまで我慢できたね、痛かったでしょ?」と不意に労りの言葉をかけてくれた。
そのときは「はぁ」と気の抜けた返事しか出来なかったのだが、その後、治療薬が効くまでの疱瘡が痛くて痛くてしょうがない間、「そうか、私は痛みを我慢できるえらい子だったのか」と自分に繰り返し言い聞かせることでなんとか乗り切れた。
職場の人間に正面から褒められると、何か政治的意図を感じ取ってしまうが、全く関係のない第三者からの労りの言葉は素直に受け取りやすいものだなと思う。

最後に、社内に出没するコウペンちゃん。
会社員をしていた時、仲の良い同僚とのslack(チャットツール)は、仕事のやり取りというよりは日々の雑談になっていた。
面倒なタスクをこなした時や精神的につらい打ち合わせを耐え切った時は、↓のコウペンちゃんの画像を送り合うのを習慣としていた。

コウペンちゃんの良い点は、「朝起きれたの?えらい!」「出社したの?えらーい」と小さいことでも褒めてくれることである。また、日々顔を合わせる人間ではなく、遠くの世界に住むキャラクターが言ってくれることで、褒め言葉に軽さが出てくる。こまめに褒められつつも、真に受けすぎなくてよくなるのだ。

実際には1人欠けても仕事は回るものだが、さまざまな理由で我慢して休めない人は多いのだと思う。
他者の頑張ろうとする気持ちを抑えることは難しく、 #我慢に代わる私の選択肢  を用意するには、社会全体の雰囲気が変わるのを待たなければならないが、それまでの間のつなぎとしては、直接ではなく、ちょっと距離の離れたところからの応援やサポートが重要なのではないかと思う。
直接的な言葉や対面では、どうしても今後の立ち位置や人付き合いの配慮などがチラつくが、「見返りの必要のない・第三者・多少無責任な」サポートだと受け取りやすいのではないか、というのが今の私の考えである。

お金を稼ぐということが大変だということを最近実感しています。サポートいただけると幸いです。