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鉄オタを名乗ることをやめた日

「でんしゃだいすきー」

小学生のわたしはじつに無邪気だった。

当時のわたしは、父親に連れられるがまま、都内各地の鉄道路線に乗り、買ってもらった子ども向けの路線図を手に、知らない路線への想像を膨らませていた。

いま思えばあれは父なりの「罪滅ぼし」だったのだろう。

まぁその是非はともかくとして、各地に連れていかれたわたしの情報吸収力は、それはもうすさまじいものだった。

桃鉄の影響も重なって、中学生になるころには都内の路線と駅をすべて暗記しているレベルになっていた。

中学生のときには、友人を連れて「乗り鉄」したり、発車メロディーを集めたCDを焼いてもらったり、古い車両見たさに山奥のローカル線へ足を伸ばしたり…。

まごうことなき鉄オタになっていた。



だけど、鉄オタということはどこか隠すべきであるような気がしていたのもまた事実だった。


高校になるとわたしは、これまで培った知識を部活の合宿計画に活かし、西村京太郎と見まがうほどの旅程表を作りあげたこともあった。

それはそれでめちゃくちゃたのしかった。


ところが、このままでいいと思っていたわたしを大きく転換させる事態が起きた。

高校3年のとき、この領域にとてつもなく詳しい後輩ふたりが入ってきた。

彼らの知識量を前に引け目を感じるようなことはなかった。しかし、ふたりの振る舞いに強烈な違和感を覚えたのだ。

彼らはたびたび、周囲の会話の腰を折っては、自分たちの趣味を持ち込んでいた。


それはいわば、自分の趣味を絶対視して、他者と折り合いをつけることを嫌っているかのようだった。


もちろん、人それぞれのスタンスはあってしかるべきだ。そしてこれはあくまでパーソナリティの問題であって、主語を大きくして解釈すべきではないこともわかってはいる。


ところが、彼らと接する周囲の人びとからは口々に、「あいつらウザくない?」との声が聴かれるようになっていた。

次第にわたしは、周囲にウザいと思われてまでこの趣味を貫く自信がもてないことに気づいた。そして、周囲のまなざしに迎合するかのように、鉄オタであるという自覚を捨てた。


それ以来、わたしは「元鉄オタ」と名乗ることにしている。


いまとなっては、「鉄」に関するかすかな想いは、あくまで地図好き、旅好きの延長のようなものとしてとらえている。

それに、それまで培ってきた知識は非常に「役に立つ」。
旅程を立てるときは爆速で終わるし、誰かと待ち合わせるときや別れるときの配慮もしやすい。

なにしろ、よほどのことがない限り迷わず目的地に迎えるのがほんとうにありがたい。


だからいま、こうして「昔取った杵柄」を活かせるのは非常に心強いことだと感じている。


ところで、趣味として「○○が好き!」と主張することは、○○以外のものは好きではない、関心がない、すなわち否定を主張することと同一であるらしい。

フランスの社会学者、P.ブルデューは、

「趣味に関しては、他のいかなる場合にもまして、あらゆる規定はすなわち否定である」

と語ったらしい。

さらに、

「趣味とはおそらく、何よりもまず嫌悪」

なのだとも。


ブルデューにしたがえば、わたしはいまの趣味を成立させるにあたって、消極的ながらも、かつての趣味を否定していることになる。

趣味を見つけて、それを主張するって、案外大変なことなのかもしれない。

「○○が好き!」って語ることの重さについては、またこんど、じっくり書くことにしよう。

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