痛みを知るということ
32w1d。妊娠9ヶ月目突入。
予定日まで残り55日。
日々の胎動が強くてお腹の皮膚が引き伸ばされている気がする。お腹のせり出し具合があきらかで、腰が痛い。トコちゃんベルトに助けられている。
32週できっと最後とも言える大きめのライブに行った。感染対策はしているといえどあまり声を大にしてライブに行ったなどとは言いにくいご時世がつらい。ライブ自体は最高で、とても良かった。それでも1時間半近く立ちっぱなし(パイプ椅子はあったけれど)は6-7キロ増の自分の足に響いた。
ライブ後にこんな夜にひとりで気持ちよく出歩くことはもう2度とないのだなと思うと、反動でとても悲しくなって帰りの駅のホームで30分くらい泣いた。もう後戻りはできない。ひとりになりたいと思っても、お腹にはへちまがいてひとりにはなれない。もう切り離すことは不可能。母子の関係って本当に特別なものなのだなと痛感する。
子宮底ももう胃のあたりまできていてごはんを食べすぎると苦しい。量を多く食べられないからか、体重も爆増はしなくなったが残り1ヶ月の伸び代はすごいとよく聞くので気をつけていかなくちゃ。
健診で低置胎盤だと言われた。前回健診の0.4ミリから少し離れ1センチ子宮口から離れてきたけど、子宮口からはまだ近い。胎盤が子宮口に近いと分娩時に出血多量のリスクがある。週数を追うごとに胎盤が上にあがるように祈るしかない。こればかりはなにもできないので日々お腹の張りがないか、出血がないかを確認しながら過ごすほかない。35週の内診エコーである程度の方向性を決めるようだ。距離があまりにも近いようであれば、予定帝王切開となる。
最近、ちょこちょこSNSでも妊娠や出産にまつわることを見かける。わたしはほかのSNSで一切発信をしないと妊娠初期に決めた。元助産師として時事ネタとしての妊娠や出産への制度について見解は示すものの個人的なことはこの場所以外で一切書いていない。
自分が一度流産したから生まれるまでは不安だから、という理由もなくはない。が、一番の大きな理由は他の人が自分の妊娠を知ったとて、いい気持ちがしない場合とかがほとんどなのではないか、と思うからだ。これは自分が抱いてきた感情でもある。友人の妊娠は嬉しいが素直に喜べない自分がいて、そんなひとのしあわせを素直に喜べない自分に自己嫌悪をする。そんな複雑な感情を他人に抱かせたくないと思ったから。
本当に仲のいい友人にすら言えない、いや本当に仲がいいからこそ言えないこともある。セックスレスで悩んでいたり、不妊治療中だったり、2人目がほしいのにできないとか、夫婦仲がよくなかったりする可能性だって、ある。31-32歳になるとそんな悩みをもつ同世代は大勢いる。誰に言うとか言わないを考えるのが面倒だから、だったら言わない方がだれも傷つけない。これは、流産したことと、この年齢になったからこそわかるいろんなひとの痛みなのだと思う。もうすこし自分が若かったら、妊娠や出産を祝って欲しくてSNSに書いてたと思う。おとなになったな、なってしまったなと感じる。
コロナ禍でひととほぼ会わない生活でもあるから、前の職場のひとくらいと一部の直近で会おうと言ってくれた友人にしか話していないのでほとんどのひとが知らない。知らないほうが、しんどくないことだってある。さすがに出産したら言おうとは思うけど、それもどうなんだろう、と考えてしまうのは考えすぎなのだろうか。