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無計画の中の計画性

これまでの31年の人生、と言っても自分の意思で生きているのなんてこの10年くらいだと思うのだけれど、わりと好きなように生きてきた。

実家は過保護、なぜか大学生でも門限をつけられるという謎の事態があり、そんなの看護学生や助産学生には無理でバイトもしてとうに門限なんて破って一人暮らしも始めたのだけれど。親とはたいして仲良くもないし、むしろ小さい頃には手をあげられたりはさみが飛んできたりするような家庭だったのではやく親の元を離れたかった。

反対をされながらも上京して、最初は助産師になったけれど仕事は転々とした。転々としていながらも各職場ではそれなりに仕事は出来た。どんな現場にいっても順応するのはすぐだった。なぜか年上の先輩に好かれる傾向があり仕事で困ることはあまりなかった。吸収が早くてすぐに飽きるのが悩みなくらいだった。だから、職場から得られるものが無くなったと感じたらすぐに仕事を辞めてしまっていた。毎回その辞めるタイミングは「自分が成長しないから」という理由がほとんどだった。でもそれは単にいいわけで、自分にその仕事を継続するだけの忍耐力がなかっただけなのかもしれない。だいたいは次の仕事を決めないで辞めることも多かったけど、仕事に困らない自信はなぜだかあった。今回も、2020年12月に退職届を出すまではそうだった。ただ、今回予測不可能だったのはそのあとに妊娠が発覚したことだった。

なんだかんだ、なんとかなると思って生きて転職を繰り返していたわりにはうまくいく下地をつくっていた。だから、今回の想定外の妊娠は自分の自信を大きく覆してしまい、すべての喪失感に繋がった。ツイッターには「自分が年末に生まれ変わって中の人は別の人です」と書くくらいには、自分の培ってきた価値観、希望、夢すべてが崩れていった。足元の基盤がなくなり、すべてが闇に包まれて灯りがなくなってしまった。それを受け入れるのには妊娠期間中だけでは足らず、今もなお灯りのないままでいる。そんな簡単に自分は母親にはなれず、わたしはわたしなのであった。

その足元から崩れた自分の価値観を、へちま(子どものHNです)のせいにはしたくないし、そもそも妊娠出産なんてこちらの都合で何もへちまは何も悪くない。すべては無計画な自分が悪いのだった。だからへちまがいながらも自分が自分であるために悪あがきをしようと決めた。へちまにはへちまの人生がある。それぞれ個を尊重する家庭にしたいと結婚してから決めていたので、子に希望を託すのではなく、それぞれがやりたいことを模索できるように今後動いていく。かなしみの中の決意表明、覚書。