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涙で溺れる日々にさよならを

抑圧されて閉め切っていたバルブが開放された。そんな感覚。

気がつけば12月、2022年も終わる。
2021年夏に出産してから迎える2度目の冬。
1年前は身体も心もボロボロで泣いて、そこから環境は大きく変わったなと思う。

2022年の5月に保育園が決まり派遣社員としてフルタイムで仕事復帰。それまでは週2,3で一時保育をしていたが社会に復帰出来る目処が立たずとにかく苛立ち、焦り、泣いていた。2022前半戦はメンタル面がしんどかった。ほぼ記憶がない。

6月頃から自分のやりたいと思ってたことについて真剣に考えて直し始めた。今の仕事ではない、ということだけは直感でわかっていて、やりたいことが何か分からないことと母親という現実とどう向き合うのかに葛藤しながら仕事をしていた。

7月には生きている時間のほとんどが働くか育児になるので、育児が苦手な私はせめて働くことは好きなことをしたいという思いが強くなり派遣の継続をしないことを決めた。事務職は向かなかった。8月末に退職した。

9月からやりたいと思っていた仕事をし始めた。お金はないけれど、楽しいし、好きなことだしとにかく充実。ようやく生きた感覚がし始める。自分の内側が混沌としていると何も選べなかった、そんな日々がこの辺りから変わってきた気がする。

ひとは毎日何かしらの選択をして生きている。毎日服を選ぶ。どんな自分になりたいか、と考えていなくても無意識にクローゼットにある服を選択して身に纏う。衣服は自分の内側を表す。それは産んでからのこの1年で痛感したことだ。何も選べない状態がしばらく続いていた。自分の人物像を描くことができなかった。自分がどうなりたいとか二の次だったから。

私は、親としてダメだなあと思う。子のことを第一に考えられない。自分優先の人生だなあと思う。でも自分優先の幸せの先に、子の幸せも一緒にあるのではないかと思っている。私自身に笑顔がなく育児していたら間違いなく子に跳ね返る。自分が身を持って体験しているからこそそう思う。だから自分の幸せとかやりたいことを成し遂げたいし模索し続けたい。だって自分を愛せるのは最終的に自分しかいないし孤独なのだから。どうせなら自分を愛す環境を整えたい。私はずるいと思う。  

もやもやとしたはっきりしない像があったとしても、共に模索して、センスよく生きていきたい。いつまでも。