2020/02/03

 友達というもの、友達という言葉が邪魔している気がしてならない。彼らは傷つけちゃいけないものだ(と私は思っていた)けど、傷つけちゃいけないと思えば思うほど、自分というものが錆びていく。そうやって何も言えないし、できなくなっていくんだ。人の気持ちを読んだり、予測しようとすることがまず間違っているな。もう20年以上生きたらしいけど、20年も生きていながら、言葉によって自分のことを何一つ表現できはしないんだ。といいながら、何もできないって自分のことを内界に締め出しておくのは、がっかりすることだと思う。

 自分のことを話すのも億劫な癖に、人に話してもらうのも実はあんまり興味無い。人そのものは好きだから、その人の内面に通ずるURLとして紡がれる言葉はちゃんと聞いておこうと思うけど、なんとなくその場を温めるための、ただの無機質な言葉によって構成される話そのものは、全部ではないけど、まあ大体はどうでもいいなと思って聞いたり聞いてなかったりしています。だからまじめに哲学の話とかみんなにもっとしてほしい。我がままだなと我ながら思う。

 好きな人やもののこと、好きではいたいけど理解したいとはあんまり思うことはない。だから、なんで好きなのかとか、どんなところがいいのか、どこで生まれたのかとか訊かれても答えられるものってあまりない。好きなものがどれくらい好きなのかという具合を、知識量や時間の長さで測りたがるのはなんでなんだろうね。時々自分もやってしまうけど。どれくらい好きなのかって知ってどうするのか?どうでも良くないか。好きには好きという尺度しかないよ。知識や時間の蓄積の先には、ただ自分が気持ちいいという感情しか無いんじゃないかと思う。

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