たまには薄情なのも必要なのかもしれない

わたしは人に嫌われたくない・人に不愉快な思いをしてほしくない等とにかく人に嫌われたくない病である。そのため、自分で言うのはちょっとあれだけど、愛想愛嬌は100点だと思う。だからおじさんたちにたくさんかわいがられてきた。

でも上京して思うのは、東京の人は周りの目を気にしない人ばかりということ。わたしの地元は、友達の友達はまじ友達卍卍って感じの距離感なんで、なんかやらかすと光はやさで伝わる。でも東京は、同じ電車に友達が乗っている確率なんて0だし、近所づきあいもない、周りの目を気にせず生き放題だ。

どっちがいいのかは人それぞれだと思うけど。

話は逸れたが、わたしの職場には愛想が0の人が数人いる。(女子)愛想の「あ」の字も見られない。愛想愛嬌満点でやってきたわたしからしたら、カルチャーショックだった。

話かけてもいつも真顔、必要最低限は話さないでくださいオーラ。ありがとうの言葉も、挨拶もない。

社会人としてどうかと思うが、わたしは逆に彼女たちの人に媚びない姿勢をうらやましく思う。いつもにこにこしてると、こいつチョロいなって思って、仕事をぽんぽん任されてしまう。断らないだろうと思って、誰もやらないであろう仕事を頼まれる。

わたしには、周りの目を気にしない図太さが必要。だから、わたしとは正反対の考えをしてそうで賞のホリエモンの本を読んだのだが、自分の考えと違いすぎて、(いい意味で)すごい刺激だった。

何事も適量だと思う。愛想も愛嬌も。

自分を守るために。


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