ゆっくりと、書くということを

誰かに見せることを念頭に置かず。
ただし、誰かが見ているかも知れないという適度な緊張感をもって。

私は、8歳の頃から小説家に憧れていた。
下手くそな字で、原稿用紙に短い物語を初めて書いた。
内容もへっぽこだったが、年齢を考えるとよく頑張ったほうだと思う。

暇さえあればひたすらに文章を書き綴り、それが自らの癒しだった。
書くことが自分を生かす手段のようで、呼吸に近い行為だった。

高校に入って、部活の部長になり、月刊誌を発行させるところまでこぎつけた。
初期はたったひとりで編集その他も行い、他の部員からは原稿だけをもらうという無茶をした。
過労甚だしい。よく生きていたものだ。

人に見せる場ができて、自分が延々と一人で書き続けた年月が実になっていることを知った。
特別うまくはないが、読めるものを書く力を身に付けていた。
ひたすらに書き続けるという愚直な行為は努力であり、決して無駄ではなかった。

その頃の私は自由で、作品に自信があった。

私はいつ、間違ったのだろう。

リクエストをされるようになった。
私は全力でそれに応え、相手にも喜ばれた。
しかし、大体が二次創作であり、原作を食い入るように読み込んで、原作に敬愛を込めて書きはしても、

私のオリジナルではなかった。

いつしか、「誰かが喜ばなければ無意味」という価値観が根付いていた。
私は私以外の誰かのために筆を執る生き方になった。
それはモチベーションに繋がったが、少しずつ私を蝕む毒でもあった。

私は家庭環境や自らの性格原因で、うつ病を発症した。
しかし、周囲の理解は得られず、自分自身も長く病気に気づかなかった。
振り返って細かに思い出してみたところ、

私がうつ病を発症しはじめたのは、小学生の頃だった。
治療を始めたのは成人後だった。

あまりに長く放置しすぎて、治りようがなくなった病は悪化し続けた。
私は、思うように文章が書けなくなった。
本がうまく読めなくなった。
それは、生きる力をすべて奪われたに等しく、地獄だった。

今もなお、誰かが喜ばなければ無意味という価値観に侵食され、病気も治らず、うまく書けない泥沼であがいている私は。

見られることを意識せず、しかし、見られているかも知れないという緊張感をもって、今、こうして書くことを始めた。

何度もさまざまなリハビリ、挑戦をして、失敗し傷ついてきたけれど。
今回もまた傷になって終わるかも知れないけれど。

書くことを手放さずに、生きていきたいと願うから。
何度でも転んでみよう。

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