家庭生活とはビジネスのようなものである、という話。
家庭生活とはビジネスのようなものだ。
何とも夢の無い話だ。その気持ちも分からなくは無い。ただ、「家事・育児をその負担割合で金銭換算する。」という話をしたいわけではない。ビジネスにおける基本的なマナーを、家庭生活においても適用しないと関係が上手くいかない、ということだ。
触れる必要すら無い極めて当たり前の事実の話だが、夫婦とは所詮「他人」である。たとえ一方が一方の籍に入る選択をし、きらびやかな結婚式を執り行ったとて、それは高々紙っぺらの話である。子供と親とは血が繋がれど、夫婦に血縁関係は無い。所詮は他人に過ぎないのだ。
もちろん、特別な他人ではある。世の中の誰より、それこそ血の繋がりのある家族以上に大切に感じられる時もある。どこの馬の骨とも知れぬ他人ではない。
だから、我々は時折期待してしまう。その関係が絶頂であった時の特別な「何か」を、しばしば相手に求め、裏切られてしまう。それは、高所得者がしばしば陥る、「生活水準を落とせない」といったようなジレンマである。
ビジネスの場には、ルールがある。関係を保ち、業務を進めるための幾つかの基本的な約束事がある。
約束を守る、時間を守る、自分の考えをきちんと伝える、仕事を取りに行く。
そういうルールが、点と点とを繋ぎ止める。
では、一体何故だろう。我々は「家ではそうしなくても良いような錯覚」に陥る。相手を下に見てきたり、約束を破って他の会食をセッティングしたり、納期通り家事をこなさなかったり。揚げ句、それを正当化しようと試みる。
そんなビジネスパーソン、必要だろうか?貴方もきっと「願い下げだ。」と冷たく心を閉ざすだろう。
夫婦は他人である。ビジネスの場で相手を思いやるような、温かい気持ちで相対したいものだ。
あの、「親しき仲にも」というやつである。
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