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Dropboxという玉手箱を開けてしまった話。

「ピロリ~ン。」

気の抜けた和音が、春と夏の境目に響く。そういえば、マナーモードに設定していなかった。

ピロリ~ンと書いたが「ピロリン」の方が近いか。いや「ピロ~ン」にような気もする。気になって自分あてにメールを送ってみるが、やはり表現できない。「If I had…」 なんてつまらない仮定法を振り払うように、画面をなぞる。

「Dropbox アカウントが 90 日後に解約されます」


ああ、またか。ひびの入ったディスプレイ越しに、懐かしいアプリが手招きしている。最後に使ったの、一体いつだっただろうか。相手の思惑にまんまと絡めとられながら、アイコンをタップする。

「アカウントを維持する場合2020年8月11日までに、(メールアドレス)を使用して Dropbox にログインしてください。」

まったく、駆け引きが上手い。今さら使うつもりもないし、大したデータもないのだが「解約」とまで言われると心中穏やかでない。あの「Mixi」のアカウントも、何年も消せていない。

注ぎ込んだ精神エネルギー・時間へのサンクコストが惜しいのか。はたまた、“供養”でもしないと後味が悪いのか。なぜそうしてしまうのか。実のところよくわかっていない。


ぼんやりとフォルダを眺めていく。懐かしい写真、当時作成した資料(とは言い難い代物)たち。苦笑しながら、「会社」と書かれたフォルダもタップしてみる。

内々定者時代に収集したデータ、仮説。無秩序なネーミングが、拡散思考の私らしい。うんうん、こんなこと考えていた気がする。懐かしい。


ふと、内定者時代に作成した「課題レポート」が目にとまる。課題図書を読んで、自分なりの考察を書くものだ。

356頁にわたる化学産業の歴史と変遷の末尾は、「化学」という文字が示す通り、重厚長大なコモディティ群からスペシャリティ事業への変化を促す提言で綺麗に締められていた。近所のカフェで、パソコン片手に読み進めた化学産業の基礎。当たり前だが、やけにカタカナが多い本だった。


更新日時は、2012年4月1日18:37。内定式当日の懇親会前に、ホテルの自室で確認しているようだ。提出直前かな。あの時、一体何を想ったのだろう。その一端に触れたくて、ファイルをクリックする。

「化学は常に変化し、化けることによって成長する産業です。」ケミカルビジネスエキスパートを読んで、一番印象に残った言葉だ。

そうそう。そういう表現だった。化学と化ける。うまいこと言うよなあ。

既存の産業は、生み出されたその日から成熟へと向かい続ける。そのような中で会社や化学業界が発展していくためには、自社の技術やモノづくりへの理念を継承しつつ、新しい事業領域への可能性について考えなければならない。 そこで、今回のレポート課題では、新しい事業領域としての○○ビジネスの可能性について模索することとした。

一丁前に、経営に提言している。課題は、本の感想だったはずだから、そこまでする義務はない、形だけのレポート。それでも、参入理由、市場規模、需要予測、参入余地。わずかA4 4枚に制限された空間に、精いっぱいの想像力と拙い表現とで、私はたしかに提言していた。40以上に及ぶ参考文献が、鼓動を加速させる。

レポートは、薄れゆく「日本のモノづくり」の意義を経由し、次ように結ばれていた。

しかし、それはモノづくりをやめる理由にはならない。(中略)これからの時代にあったモノづくりを自分なりの視点で探していきたい。

自分なりの視点。

思い返せば、それから4年後の2015年。僕は自分の中に、その答えを見つけた。絵空事のような解は、すぐには実行できない。1人ではできない。しかし、地道に説き進めることで、僕のマインドは若手社員に伝播しつつある。

ふうっと息を吐く。日が暮れて、気温が下がったことに気づく。「2020年は平穏に過ごせる」なんて思っていたが、そうもいかないようだ。もちろん、コロナウィルスの所為ではない。

過去の自分が、未来の自分に充てたメッセージ。たまには、紐解いてみるのも悪くない。そう思いながら、そっとファイルをペーストする。つくづく、駆け引きが下手な人間だと思う。

何かのお役に立ちましたなら幸いです。気が向きましたら、一杯の缶コーヒー代を。(let's nemutai 覚まし…!)