見出し画像

命令されてライターになった僕の他人まかせで運命的な軌跡


僕の幼稚園の卒業文集には、
「リズムかんばつぐん!ことばあそびがだいすきでした」
と書いてある。
あれから約40年。少年はいまだにギターを弾き、ライター職に勤しんでいるのだから、保育士さんの慧眼は素晴らしいというほかない。まあ、物心ついて早々に褒められもんだから、図に乗って続けているんだろうけど。

ただ、音楽の方まだしも、僕は決して本やモノを書くのが好きなタイプではなかった。どちらかというとずっと嫌いな作業であり、"人生を通じて巻き込まれている”感覚に近い。

もはやそういうものだと思ってあきらめている。
今回は、そんな皮肉な軌跡について書きたいと思う。

小学校~中学校:書くのは嫌いだが、漫画のせいで漢字強者に

日本は子供になぜあれほど感想文を求めてくるのだろう。作文用紙を見ると「広っ!」と辟易してしまい、白と茶色の組み合わせが嫌いになるほどだった。(でも同配色のファミコンには夢中)
書くのが苦手な子によくあるように、なんとか短い会話文で尺を稼いでやり過ごす。実際は全然違うが、父親は高倉健くらい言葉少なな設定にしておいた。原稿用紙の上では彼は「そうか」しか言わない。

文章を書くのは御免だがマンガを読むのは好きかつ得意で、湯水のように漢字がインプットされた。だいたい『魁!!男塾』のせい。


高校:まだ書くのは嫌いだが、バンドを始めて歌詞を書く

YUKI(元JUDY AND MARY)と出会って勝手に恋に落ち、おばあに頼んでギターを買ってもらう。自ずとバンドを組んで彼女の足跡を追いかけるが、すぐには弾けないのでボーカルの道へ。楽器屋の掲示板で知り合った隣町の大学生が好きだったせいで、なぜかミッシェル・ガン・エレファントのコピーバンドをやることになり、声が急速にハスキーになる。

その後バンド仲間が海外留学することになり、「オリジナル曲でも作ってみる?」という話に。歌詞を書くことになる。今それを見せられたら枕に顔をうずめて自害するけれど、記念すべき最初の執筆活動になった。

★ちなみにYUKIの曲はまだ毎日聴いているし想いも綴っている


大学:当然書くのは嫌いだが、人に誘われて書き続ける

バンド活動の告知用に作っていたホームページに歌詞を載せていたら、あるデザイナーのお姉さんから「私と一緒に本を作らない?」と誘われる。
”東京中を回って写真詩集を作る”というもので、(まあ短文ならいいか)と了承。彼女は国際的な環境団体で働く立派な社会人で、そういう人に認められた喜びがあった。褒めのパワーってすごい。

が!やっぱり物語っぽくしようという話になり作業感がアップ。煮詰まって未完成で終わるが、構成とか見せ方とか、プロっぽい視点を持てた貴重な期間ではあった。出版業界も、ライターも、まったく目指してなかったけど。


ニート期間:嫌々書き続けてきたのでせっかくだから本にする

卒業後はとりあえず営業職につく。1社目ブラック企業、2社目にリッチブラック企業に当たってメンタルを病み、長いニート期間に突入。
この内省的な期間に詩的マインドが増幅し、大学時代に書いていたものを自費出版する。気分はもはや就活というより終活で、生きた証を残したい一心だった。

最低ロットが30冊だったので30冊つくったが、当然そんなにいらないので、昔のバンド仲間に配ったりした。
この本が巡りめぐって今の妻に届き、のちに結婚してしまうんだから人生はわからない。


社会復帰:書くのは嫌だっつってんのに、命令されて本職に

もう営業はやりたくないし、何か自分にできることは――と模索するうちに、出版社の編集者求人を見つけて社会復帰。編集者なら自分でモノを書く機会はないだろう、とタカをくくっていたが、入社してから書評とかいくらでもあることに気づいて後悔する。

取引先とメールのやり取りをしていたら、突然「お前はライターになれ」と命令される。ギターで鍛えた指先が生み出す入力速度と、取引先相手にも平気でボケる脱力感が妙に評価されたせい。文章本で一夜漬け勉強した翌日に20人相手に文章教室をやるみたいな、とってつけた日々を駆ける。

あ、僕ってライターかもしれない。
そう初めて実感したのは、大きな仕事をしたとかではなく、クラウドワーカーに執筆依頼したとき。メディア立ち上げのために大量発注したのだけれど、"プロのライター"と名乗る10人中10人がやっつけクオリティだった。
テクニック云々より、「的確にリサーチし」「発注者の意図をくみ取り」「トーンを書き分けられる」のが優れたプロだと思う。


転職:一瞬書くのをやめるが、神は我にまだ舞えという

今の会社に入る前、いいかげん卒業かな……と書き仕事から離れ、集客コンサルの職に就いた。これで指や手首の疲れとはおさらばできる!と思ったのも束の間、入社初日に「研修中はテレアポ200件です」と後出し詐欺をされていきなり辞めたくなる。

昼休憩中、途方に暮れてガードレールに乗ってパンを食べていると、前職の同期から電話がかかってきた。
「俺、○○社に転職しまして。nemuさん良かったらライターやりません?」
よく知ってる上場企業で直近そこのサービスを利用していたのと、個人的に電話よりは書く方がマシなので承諾。

こうしてわずか1日でライターへ舞い戻ることに。運命の悪戯とはいうけれど、神、いくらなんでもおいたが過ぎます。


現在:書くのはずっと嫌だけど、表現するのが好きになった

ということで、今もライターをやっている。
GPT先生のおかげで0から書き起こす機会が減り、リライトの範疇に収まるケースが増えた。まったくありがたい限りだ。

振り返ると、まるで導かれるみたいに進んできた。
嫌だろうが書くことを求められ、書くことで人生が動き、たまに褒めてもらえるからなんとか続けてきたのだ。
振りかえって思うのは、
嫌だろうが、求められた時は応えていれば何かに繋がる
ってこと。

もちろんこんな僕でも、書きものの魅力は十分感じている。
面白いものをつくりたい。
新しいものに出会いたい。
そんな気持ちでnoteにたどり着き、日々刺激をもらっているのだけれど、手段として”書く”行為にはどうしてもLazyになってしまうのである。

#想像していなかった未来


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集