【異論は認めます】人間椅子とYouTubeの関わりについて、長々と論じてみた

皆さん、かぐや姫の『妹』を爆音で聴いてますか?どうも、山本マリアです。

さて、今年デビュー31年目を迎えた、日本が誇る3ピースHM/HRバンド『人間椅子』の活動状況が、コロナ禍においても依然として上昇傾向を示している模様です。

なんと、アマゾンプライムビデオでの配信と地上波でも放送されるアニメ『無限の住人-IMMORTAL-』の第2クールOPテーマを担当するとの吉報が届きました。

曲タイトルは『無限の住人 武闘編』。海外のリスナーを意識してか今回もサビはオノマトペを採用。アニソン向けのわかりやすいハードロックにアツいコーラスワークで作品の世界観を見事に表現した中島誠之助も褒めるであろう完璧な“良い仕事”っぷり。オープニング映像も出血大サービスと言わんばかりにエグくて格好良いです。

『無限の住人』との関わりは深く、原作者である漫画家の沙村広明氏が同バンドのファンだったことから1996年に『無限の住人』と題したイメージアルバムをリリースしている。久しく廃盤となっていたが、件のアニメ主題歌担当を記念して来月19日にCDの再発売が決定。是非、新規ファンのみならず漫画アニメファンにも入手してもらいたい代物であります。

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時代劇漫画のコンセプト盤ということで、いつもの重厚ギターサウンドに和風テイストが更に加わり、意匠の凝らされた音作りとアレンジメントが際立つ異色の内容。詞世界に圧倒される#1「晒し首」や軍歌調で男臭く勇ましい#4「蛮カラ一代記」、曲構成とギター和嶋慎治の技巧が光る#10「黒猫」など名曲揃いの一枚です。

試聴してもらいたくてストリーミングサービスのリンクを埋め込んだが、歌詞カードに描かれた沙村広明先生の挿絵も魅力的なんで是非この機会にCDの方をご購入いただけたらと思います(決して、Amazonアソシエイトによる収益化を目論んでいるわけではないのでご安心を)


…っていうか皆さん、人間椅子ってご存じでしょうか…?

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これでも読者に寄り添う心は僅かながらに持ち合わせているので改めて説明しておきます。

人間椅子とは、ブラックサバスの影響が色濃い70'sブリティッシュハードロックサウンドに江戸川乱歩リスペクトの怪奇趣味全開な歌詞を乗せた独自の音楽スタイルを持つ3人組バンドである。

1989年にTBS系列で放送されていた深夜番組『三宅裕司のいかすバンド天国』に出演して人気を博し、その後低迷したものの、近年『オズフェスト2013』に参加するなど再ブレイクを果たしている。

さて、そんな波乱万丈のバンド人生を歩んできたとあって「なぜ今になって大ベテランバンドが注目を浴びているのか?」が世間の関心事となっているらしく、インタビュー等で再ブレイクの要因についてたびたび問われているが、その中でもYouTubeなどの動画サイトを通じて認知度が高まり、ライブの動員も増えて活動の幅が広がったことが一因とされている。

しかし、今のところ再ブレイク以前の動画サイトとの関わりについて深掘りされているわけではなく、何となくその恩恵を受けて今の人間椅子がある、ということで片付けられている。

それで一向に構わないのだが、低迷時代からライブに通い詰め当時の状況や空気を体感している身として、今回特に影響力があったと思われるYouTube動画を2本紹介しながらその詳細を語り、さも人間椅子の歴史を見守る証人ヅラをしたいというのが本記事の主旨になります。

…といっても、散々語られている既成事実に己の偏った主観とかすかな記憶をまぶしただけの単なる自己満記事です。意見の多様性を認める訓練と割り切り、寛容なる精神で読み進めていただけたらと思います。


再ブレイク以前の状況〜古参ぶりたいわけではありません〜

その前に再ブレイク以前の“暗黒期”と言われる時期の状況について、筆者の体験談を交えながら説明させていただきます。

俺が人間椅子の存在を知ったのは16年前、竹中労の『たまの本』という著書の中で人間椅子の名が記載されており、ネットで調べると紹介文に『日本文学的な詞とハードロックを融合』とあって「これは絶対に面白いバンドに違いない!」と興味を抱いたのがきっかけでありました。

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しかし、2004年頃といえば動画サイトもネットショッピングも今ほど一般的ではなかったから、音源を入手するにはブックオフや街の大手CDショップに赴く他なかったのだ。

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そこで1st『人間失格』と当時の新譜であった12th『三悪道中膝栗毛』を購入し、泥臭くエネルギッシュでありながら知性に溢れた唯一無二の音楽性に引き込まれ、すぐさま全作コンプリートを決意する。

しかし、のちに再販されるのだが、この頃はほとんどが廃盤で休日は自転車で遠方の中古CD屋めぐりをするという至ってモテない行為を強いられながら地道に買い集めていた記憶がある。

また、ライブ初参加(敢えて“初参戦”と表記せず)は仙台MACANAで行われた『二〇〇六年の瘋痴狂ツアー』。その頃でも、意外と言っては失礼だが客入りはそこそこあった一方で、学生らしき人は数名といった印象であった。

当時の人間椅子は、デビュー15年目と結構なキャリアを重ねていたものの活動ペースは落ちることなく、毎年2回の全国ツアーと年1ペースでの新譜リリースとかなり精力的ではあったが資本主義社会の不条理に阻まれ、特にCD売り上げが芳しくなく、ギター和嶋氏はこの頃が最も辛い時期で毎晩酒を煽っては道端に横たわり、泣き疲れて眠る日々を送っていたという。

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そこまで和嶋さんが追い詰められていたとはつゆ知らず、俺はのん気に人間椅子のアルバムを聴きながら邪悪な心を育ませ、飽くまで個人で楽しんでおりました。

その後、名古屋に移り住み6年間、毎年可能な限りライブに足を運んでいたのだが、いち常連客として一つの変化を感じ取っていた。

「若者を中心に毎回少しずつ客の数が増えていってないか?」と…

一時は、大須観音駅近くの収容人数約150人のライブハウスell.SIZEでやっていた名古屋公演も、いつしか満員となり、次にキャパ300人のell.FITSALL、最終的に600人のElectricLadyLandで執り行われるようになっていった。

このような、メディア露出は勿論のこと特に目立ったネット展開もしていないのに観客動員数が伸びるという不可思議な現象に対し、本人らも疑問を感じたようでライブ終了後にアンケートを取ったことがあったという。


そうしたら、5~6年前からライブの動員が増え出して、若い人も来始めてくれて。自分たちでも不思議でしたし、おかしいと思いましたね(笑)。露出もなかったですから。なので、その理由を探そうとアンケートを取ったこともありました。まぁYouTubeが大きいのかなと。


2009年頃だったか。これは筆者もよく覚えていて、それまでもアンケート用紙は配られてはいたが任意であった。しかし、このときばかりは簡易鉛筆を渡されて本気で回収しようという雰囲気があった(それでも俺は面倒だったので何も書かずに帰ったんだが)

結局、アンケート結果からその理由は判明しなかったらしいが、ここで和嶋さんはYouTubeが大きいと結論付けている。

実際、以前は何かのきっかけで人間椅子に興味を持ったとしても、CDを買うにはハードルが高く(というかそもそもあまり売ってなかったし)音源を確認することなく見過ごされていたが、YouTubeが普及し容易に試聴できるようになってこれまで取り逃していたファンを獲得できた側面はあるだろう。

では、当時の新規ファンはどのような動画を見て人間椅子を知り、支持するにまで至ったのか。

あくまでも筆者の仮説に過ぎないので半笑いで御覧ください。


人間椅子を再ブレイクへと導いた動画たち〜その壱〜

仙台MACANAで行われた『二〇〇六年の瘋痴狂』仙台公演に参加した俺は、ほどなくしてYouTubeという動画投稿サイトの存在を知る。

今でこそ影響力の強いソーシャルメディアとして世界中で利用されているが、当時はアップされている動画数も少なく、手軽にアニメやライブ映像の海賊版が見られる、ちょっとグレーなサイトという印象であった。

そんな黎明期ともいえる2006年頃、けしからん奴らの手によって有難いことに(?)人間椅子の動画がいくつかアップロードされていたのだ。


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今ではもっと増えているが、当時アップされていたのがだいたい、こんなライナップ。その中で最もファン急増に繋がったと個人的に考えているのが、以下の動画になります。


勿体ぶって言うほどのことじゃないですが、2006年5月14日に投稿された『針の山』です。

画質は240pまでしか設定できず、著しく不鮮明であるが、優れたリフが特徴的な『針の山』という楽曲が持つキャッチーさと、元ドラマー後藤マスヒロ氏も含めた究極の演奏力、そしてライブならではの疾走感。更に臨場感の伝わる極上のカメラワークとスイッチングが、低い解像度を補って余りあるほどに素晴らしい映像作品へと昇華させている。


この頃、ライブに来ていた初参加と思しき若者が、恐らく全曲網羅しているわけではないので知らない曲ばかり演奏され、地蔵と化している中、『針の山』のイントロが流れた瞬間、テンションぶち上がる様を幾度となく目撃しており、そのたびに「あの動画が呼んだ客だな…」と思いながら見ていました。

少ないサンプル数で決めつけるのは勇気が要るが、時代背景を察するに2000年代に流行っていたバンド音楽といえば、メロコアやパンクであり、若者の間ではシンプルで爽快感のあるロックが好まれていた。

しかし、それらを聴いて育った若者が時としてプログレやドゥーム・メタルにまで及ぶ人間椅子の音楽性を即座に理解できるとは到底思えないが、『針の山』に関しては乗りやすく、わかりやすい楽曲であり、入り口としてはもってこいの動画だったのかなと都合よく解釈しています。

また、何より今見返しても、他の『針の山』動画と比べて芸術点も技術点も高く、後藤マスヒロ氏のテクニカルかつパワフルなドラミング、そしてサウンドミキシングと映像作りに優れた本動画はライブに足を運ばせるほどの魅力に溢れている…。


筆者の持論はともかくとして、動画で人間椅子を知った人が周囲のロック好きに推薦する流れができて、ライブ観客動員数増加を更に加速させたとも思われます。

人間椅子を再ブレイクへと導いた動画たち〜その弐〜

前項ではYouTubeに限定して話を進めたが、2000年代後半といえばニコニコ動画が若者からの支持を得ていたこともあり、そこをきっかけにして人間椅子を知ったネット民も少なくなかったようである。

例えば、1990年代後半に青森のローカル局で日曜深夜に放送されていた、人間椅子の冠番組『人間椅子倶楽部』のワンコーナー「カヴァー楽曲演奏」にて披露された洋楽カバー映像が、またしても違法アップロードされ、今で言うところの「歌ってみた」動画の形で少しずつ広まっていったのだ。


名称未設定2


しかしニコ動は国内向けの動画サイトであって、これらがYouTubeに転載されたことで事態は思わぬ方向に転がりだすのだが、その中でもキングクリムゾン『太陽と戦慄パート2』のカバー動画でちょっとした事件が起こりました。


2007年にニコニコ動画に投稿されたものを、2008年にYouTubeに転載し、更にHD仕様にして、タイトルに英題をつけたのがこちらです。

それまでとは違ってタイトルに英語表記を加えたことで、動画漁りに興じていた海外のプログレ野郎が本動画にヒットし、たちまち再生回数が増えていったのだ。

当時、人間椅子ファンの間でも海外から絶賛のコメントが書き込まれていることが話題になっていて、何故かみんな誇らしげになってました。「俺たちの人間椅子が地球上に生息する辛口クリムゾンフリークを唸らせたぞ!」ってね。

青森ローカルの深夜番組で放送された大昔の名演奏がこうして世界中に届けられるとは本人らも想像していなかったことだろう…。

今では珍しくはないが、海外のユーザーが強くリアクションを示した初の事例となりました。


これらの動画をきっかけに…

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手軽に動画サイトで音源を試聴できるような状況とはなったが、ロック好き以外の層に人間椅子の存在を認識してもらうのはそう簡単なことではなかった。

しかし不断の努力を重ねていた結果、当時のリバイバルの流れに乗じて幾度か世間と交わるチャンスに恵まれる。

まず、2007年12月30日に、TBS系列で22時から放送された『あの伝説の番組再び!"イカ天2007復活祭"名物バンド激 レア映像 今夜限りの大放出スペシャル』という特番で軽く紹介され、イカ天世代の人やテレビ視聴者に近況報告も出来ました。

その後、2012年にアイドルグループでありながら、サブカル色の強い活動で人気を博していたももいろクローバーZのブラック・サバスオマージュ作『黒い週末』にギター和嶋氏が参加し、そしてその翌年の『オズフェスト2013』への出演をきっかけに大型音楽フェスにも参加するようになっていきます。

そこで知った人たちもまた、動画サイトで音源をチェックするという流れができて着々と業績を上げていき、結果ベースの鈴木さんは23年続けてきた郵便局のバイトを辞めることが出来ました。


とある人間椅子ファンのいち見解に過ぎませんが…

今となっては本記事で紹介したものを上回る再生回数の動画も少なくないが、かつて何者かがアップしたこれらの動画が人間椅子の広報活動を密かに担い、やがて海外進出のきっかけにまでなって行く。

個人でバンドを運営する立場として有効なプロモーション手法が見出せない中、棚ぼたではあるが、一部の消費者が潜在的に求めていた独自性の高い音楽と確かなパフォーマンスを世界中に届けることが出来たのだ。

そんな中、今度は人間椅子が自発的にやらかしてくれました。


30周年記念アルバム「新青年」に収録されている『無情のスキャット』のMV動画が世界中で視聴され、2020年7月27日現在で620万回再生を突破。これに関しては公式チャンネルから投稿されたものなので必ず視聴するようにしてください。


さて、長々と私見を述べてきましたが、個人的にマニアックな音楽性と奇抜なビジュアルで大衆受けしないと言われ続けてきた人間椅子が今まさに前例のない形で成功を収めようとしている様は、注目に値すると思っています。

皆さんも、今からでも遅くないので人間椅子の楽曲を聴いて周囲と差をつけていきましょう。


最後に、2009年のライブ終わりにアンケートを書かず帰って申し訳ございませんでした。

それでは。




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