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お話を子どもとたのしむ Vol.11

ストーリーテリング入門講座(1)

お話は聞く文学

名古屋ストーリーテリングの会まほうのおなべが講師となって、名古屋市北図書館で、ストーリーテリング入門講座を開きました。10月の第4火曜日から4回の講座です。ストーリーテリングを今まで聞いたことがなかったという方、ご家庭でお子さんにお話をしてあげたいという育休中のお母さん、それから、ストーリーテリングの会に入ったばかりで基本を学びたいという方などが集まってくださいました。


 これからストーリーテリングを始めようと思われる方に、まずわかっていただきたいのは、わたしたちは「どう語るか」よりも「何を語るか」を大切にしているということです。それは、お話が「聞く文学」だからにほかなりません。文学というのは、ことばの芸術、ことばによって、何か心を揺さぶられるような体験をすることだと思います。人間が文字を持たなかった昔からことばはあって、人は、他の誰かに自分の体験や感動を伝えてきました。そのような、体験や感動の共有が文学のはじまりだったんじゃないでしょうか。ですから、最初の文学は口伝えだったんですね。
 昔話は、年寄りから子どもへ、囲炉裏端だったり、外国なら暖炉の前などで、口から耳へ、語り伝えられてきました。口伝えのお話が、紙の上に記録されるようになったのは、近代になってからのことです。私たちのストーリーテリングは、紙に書かれて本の中で文字という形で眠っている文学を起こして、耳で聞く形にもどして伝えること、ともいえるかもしれません。

文学としての価値

「お話は聞く文学」ということをふまえて語るお話を考えるとき、そのお話に文学的な価値がなければなりません。そこで、文学的な価値とはなにかということですが、東京子ども図書館を設立された松岡享子さんがこんなふうに書いておられます。

 文学的価値ということは、たいへんむずかしい問題で、論じだせばきりがありませんが、ここでは、ひとまず、文学的に価値のある作品とは、「わたしたちの心をたのしませ、人間についての理解をたすけてくれるもの」と、表現しておきましょう

『レクチャーブックス お話入門1お話とは』(東京子ども図書館)

「たのしませ」とありますが、娯楽とは違います。娯楽というのは、そのとき、その場での刹那的な興奮ですよね。大笑いしたり、感傷に浸って泣いたり、確かにそのときは心を動かされますが、あ~面白かった!でおわるようなことだったり、泣けたわ~!と言ってスッキリするようなことです。それはそれで、わたしたちの心の健康にはとってもいいことです。ただ、ストーリーテリングのめざしている、文学としてのたのしみは、そういうその場限りの性質のものではなく、もう少し尾を引くようなもの、心にひっかかるものであってほしいのです。
『レクチャーブックス お話入門2 選ぶこと』(同)に出ているエピソードですが、アメリカに、電話帳を読み聞かせて、飽きさせないどころか、笑わせたり、ほぅっとため息をつかせたり、30分でも1時間でも子どもをひきつけておける素晴らしい「名人」がいたそうです。その30分なり1時間なりは、きっととても楽しいものだったでしょう。でも、電話帳そのものには文学的な価値はありませんよね。
 わたしたちは、電話帳を立派な娯楽に仕立て上げるような話芸の名人をめざすのではなく、文学としての価値のある話を選んで、それを上手でなくても、素直に誠実に語りたいのです。







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