IoTプラットフォームを実現してみて、オープンイノベーションは結果的に起きることだと解った

plusbenlly

NECパーソナルコンピュータさんと共創して作ったplusbenllyというデータが流通する仕組みがあり、
大和リビングのIoT Droom、三菱地所の丸の内ヘルスカンパニーで採用頂いている。

このplusbenllyは元々、LAVIEの売り上げにつなげる広告宣伝用途ではなく、
PCの価値を高めるところに予算を使ってみたらどうか?
というところからスタートすることになった。

まずは、アイデアを50個くらい出し、その中から実現してみるとPCの価値が上がるかもしれないという仮説に紐付け、検討を進めた。

当時IoTという言葉が一般的ではなく、
パソコンを作っている人達ですらその言葉を知らなかったような時代。

デバイスがネットにつながって、コントロールやモニタリングができるデバイスの進化が起き始めていて、
モノがネットにつながる時代が来るぞというところだった。2013年後半、2014年辺り。

これまで製造して販売して終わりだったビジネスの仕方から、
買ったお客と繋がり続ける仕組みを手にすることになる。

特に家電を始めとしたハードウェアは、ヨドバシカメラやヤマダ電機などを通じて販売するため、メーカーには顧客接点がなく、お客は遠い存在だった。

しかし、モノがネットに繋がった瞬間、顧客を知る術を手に入れることになるという画期的な出来事だというところに着目した。

そして検討を進める上で、データは企業のものではなく個人のもので、
その個人のデータをより自分に適した形で利便性を上げられるようにしよう。

その為にはECHONETのような規格ではなく、メーカー間を横断してデータを流通させる必要がある。

Amazonが扱う商品ジャンルを増やし、顧客接点を最大化すれば、Amazonの囲い込みになり、商流が変わるだけになる。

そんな中アメリカでは既に、APIを繋げ、ユーザーがしたいこと、望む状態を設定できるIFFFTを展開するベンチャーがいることを知った。

なんだ企画したものは既に世の中に存在してるじゃんという感じだった。

日本はSONYやNECや日立など製造メーカーがたくさんあって、いっぱいあるこの国のアセット、状態を顧客に向けて価値を最大化する方法が何だろうか?とNECレノボの担当者とディスカッションを繰り返していた。

今にして思えば、NECの人が自社の枠組みを超えて世の中を語っていたのは極めて稀だったと思う。

そして同時に、各製造メーカーにヒアリングに行き見えてきたのは、モノがネットに繋がるハードウェアメーカーのIoTに対する課題は、そもそも売り切りビジネスからの脱却、つまり、顧客接点を持てる代わりに発生するデータ維持のためのサーバー代の維持運用コストだった。

そのコストの回収に、各社は二の足を踏んでいた。

やるべきだし、あるべきだと思うが、会社の承認を得られない。

売り上げにつなげるビジネスモデルがないという状態だった。

データは個人のもののはずだけど、メーカーがサービスを辞めたらそのデータがなくなってしまう。
メーカーが収益化できる方策がないといけない。
ビジネスモデルまで含めてどうあるべきかの議論を重ねた。

また、先程のIFFFTを自分達で使って色々試してみながら、
並行してユーザーへのインタビュー、
そしてユーザーにサービスを提供するサービス事業者にインタビューを重ねたところ、IFFFTでは満たせないポイントが見えてきた。

そういうタイミングにYAHOOがmy thingsというサービスを出してきた。
日本でもきた!と思っていた。IFFFTの対抗で同じビジネスモデルのように見えた。
※サービスは2019年1月終了しています

NECレノボの担当者と、どうする?という時に、

これはB(企業)に向けよう。

まだC(消費者)がその価値を享受するようなところまでリテラシーも環境も整っていない。

このままではIFFFTのように一部のリテラシーの高い人しか使わないサービスになる。

本当に誰もが、便利になっていくという状態を目指そうとしたら直接Cではなく、サービサーに重点を置こうという話になって、ハウスメーカー、賃貸住宅事業、金融、健康事業、トレーニング事業者など、周りに回りまくった。

サービサーには、
(技術的には)こういうことができるんだけど、
この環境を活かして、ユーザーにこういう価値を提供しましょうと。

また、IFFFTで見えていた課題、ハードウェア事業社の課題を満たすビジネスモデルを込みで提案したところ、
それに賛同、共感してくれたD-roomの経営企画の皆様が賛同してくれてから一気にプロダクトを進めることが出来た。

IFFFTともmy thingsともひとつ大きな違いは、IDを持たない。
つまり個人情報を持たずに黒子に徹する、ということだった。

なので、今でもplusbenllyを活用してくれている企業のサービスには、一切plusbenllyの文字は出てこない。

企業のサービスの後ろ側で下支えしようとして、蛇口をひねったら水が出るように、だけど、繋げるのにサービサーの煩わしい作業を吸収してあげよう、ただデータを企業に流していくところに徹しようという話になってから、メーカー、それを使って事業をしたいと思っているサービス事業社から、繋がろうよ、という形で増えていった。

エンドユーザーにサービスを提供するサービサーへの営業、繋げてくれるAPIを持つハードウェアやサービス事業社への営業、両方同時に回した。

この時点でのプロジェクトメンバーは、開発を除けば3人。
半年間、口説いて広告代理店から転職してくれた藤島くん(現plusbenlly事業 執行役)が来るまでは、営業メンバーも数人が入れ替わった。

ありモノではなく無形のモノを売るのは、とても難しかった。

結果、β版ローンチ時には70社以上のメーカー、技術保有企業、サービス事業社と繋がった(検討中含む)ことを発表できた。

結果的に、オープンイノベーションになっていたのだ。

2017年β版ローンチ後、商用化してきちんと黒字化し、ゼロから立ち上げた事業として、合算で2桁億円の売上にはなっている。

この活動を通じて解ったことは、
オープンイノベーションしましょう、と集まることからは物事が起きにくく、起きたとしてもプロダクトアウトになりがち。
定めた顧客にどういう価値を提供しようという目標を持つことで共感が生まれ、その目標を実現するために必要なアセットを向けることが、結果としてオープンイノベーションに繋がる
ということではないかということ。

この当時の社長の留目さんは、現在では、弊社キュレーションズの取締役に就任頂き、
また、プロジェクトを通じて人生を語り合ったNECレノボ側の優秀な担当者の岩本さんは独立され、方方で大活躍。時々、弊社のプロジェクトにもジョインしてもらっている。


現在、岩本さんの先輩方と新しく入社された皆様と、引き続き価値の最大化に向けて、鋭意活動中だったりしてます。

今回のコロナの出来事で、漸く、政府をあげてスマートシティに本腰を入れ始め、かのトヨタの豊田章男社長も「ウーブン・シティ(Woven City)」を掲げ、コーポレート・トランスフォーメーションしようとしているけど、

今後、益々データの利活用が進み、生活者の僕たちがより快適に暮らせる社会の実現に向けて走り始めたのだと思うし、なにかどこかでplusbenllyもお役に立てたらいいなと思って、今日もまた活動しています。

そうそう、私、一般社団法人益田サイバースマートシティ創造協議会で専務理事になりました。

スマートシティの実現には、グランドデザインと汗水垂らしながら地域と向き合わないと上辺だけになる!と代表理事が申しておりますので^_^尽力しつつ、
スマートシティの方もご紹介できたらいいなと思ってます。




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