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にこっ

人がニコッと笑った顔ってとてもすてきだ。 その笑顔がこちらに向いているならなおのこと。 どんな人でも、ちょっと好きになってしまう。 私はそのくらい単純だけど、そのほうが毎日の幸せは多いと思う。

    • 覚え書き

      母親に作り方を聞いておかなければならないもの 炊き込みご飯 雑煮 砂肝とキュウリの和え物 煮込みハンバーグ 葉っぱに巻いて食べる焼肉 焼うどん おかしいな。ほんとはもっとあるはずなんだけどな。 思い出したらまた書き足そう。

      • 満面と能面

        誰に対しても同じ態度で接することなんてそもそも無理だと思うし、そんなことしなくてもいいと思うんだけど、びっくりするほど相手によって態度を変える人っている。 弾けるような満面の笑みが、一瞬でスッと能面みたいになったり、もしくはその逆。その顔が(特に能面のほう)が私に向けられたものでなくても、その落差を目の前で見せられると、なんとういか、こう、いやあな気持ちになる。その極端な変化を私の目の前で平気でやるってことは、私もその人にとってはいてもいなくてもいいどうでもいい存在だと思われ

        • どんなに上手に隠れても

          かわいいあんよは見えるらしい。 タグもつけずにこっそり書いているのだが、読んでくれる人が現れる。 不思議なものだ。

          マンダム・・・じゃなくてギャツビー

          いわゆる名作と呼ばれる小説を読むキャンペーンを(一人で)展開中。 その第一弾としてフィツジェラルドの「グレート・ギャツビー」を入手。 よく考えれば、小学生のころから「いつか読む本リスト」に入っていた。 そういう本をこれからガシガシ読んでいこうと思う。 人生であと何冊読めるか誰にもわからいんだから、おもしろい本を読みたい。そんなとき、本選びを手助けしてくれるのは、時間のふるいだ。 長い時間のふるいにかけられて生き残っている作品は、おもしろいから残っているのだ。その中から選べば、

          マンダム・・・じゃなくてギャツビー

          ハッピーターン、パウダー250%パウダアアア!

          人は刺激に慣れる。そして、さらに強い刺激を求めるようになる。視覚でも聴覚でも嗅覚でも味覚でも何でも。 元々薄い味を食べていた人も、濃い味に慣れると前の薄味が物足りないように感じる。音量10でテレビを見ていた人が音量15に慣れると、もう10では見られなくなる。 最近、小説の帯でよく見る言葉がある。 「どんでん返し」 最後の最後で物語を支える土台がひっくり返り、それまで見えていた世界ががらっと様子を変え、足元からガラガラと崩れ落ちるような裏切りに人は快感を覚える。確かに読んでいて

          ハッピーターン、パウダー250%パウダアアア!

          みみみみみみみみみみみみみみみ

          自分が大きな音や声に敏感であることにここ数年で気づいた。 よく考えると、子どもが超音波攻撃をしかけてきたときや、電車のアナウンスが爆音だったときなど、反射的にしかめっ面になってしまい、回りに嫌な印象を与えていたことが何度もあったと思う。 そこで最近は耳栓を使い始めた。イヤホンで音楽を聞かずにノイズキャンセリング機能だけを使用することもあるのだが、やはり充電もいらず、いつでも使えるというのは耳栓のすばらしい利点だ。 ただ、耳栓をしていても、いつ誰に声をかけられるかわからないし、

          みみみみみみみみみみみみみみみ

          寝て、食べてさえいれば

          ちゃんと食べて、ちゃんと睡眠をとっていれば、たいていのことは何とかなる気がする。 うまく行かないときは、ちゃんと食べてないか、もしくはちゃんと寝てないか。 私の場合は、そういうときちゃんと寝てないことが多いな。

          寝て、食べてさえいれば

          なかよし

          誰かと仲良くなろうと思ったら、相手に合わせて無難な話題を選ぶよりも 自分がうんと好きなことについて話して、そんな私をおもしろがってくれる人と仲良くなったほうが、楽しいし楽だし、合う相手ならうまく行く。 好きなことについて楽しそうに話しているあなたと話すのを楽しんでくれる人、もしくは好きなことについて楽しそうに話しているだれかと話すことをあなたが楽しむことができるのなら、きっと二人は仲良くなれる。 もちろんあなたの話に興味を持ってくれない人も、あなたが興味を持てない話ばかりする

          なかよし

          お好みの範囲

          「お好み焼き」 お好みに合わせて焼く、といってもステーキのようにレアとかミディアムとかにすることはできないので、具は何でも好きなものを入れて焼いてねという意味なのだろう。 じゃあ、好きなものなら何でも入れていいのかというとそうではない。 肉でもシーフードでも餅でもコーンでもと、かなり範囲は広いけれど、あくまでもソースとマヨネーズが受け止められる範囲でなければならない。 いくら好きだと言っても、お好み焼きにインスタントコーヒーやらパイナップルやらチョレートやらを入れる人はいない

          お好みの範囲

          さくさくさくさくさく・・・

          人が漬物を食べている音が好きで、誰かがそばで食事をしていると、知らん顔をしつつも実は全力で聞き耳を立てている。 口を開けてくちゃくちゃさせる音はいやだけど、小さく「さくさく」という音が聞こえてくるとものすごくうれしい。 だけど自分が食べているときの音はまったく興味がない。不思議なものだ。 今お食事中のあなた!すぐそばで私が全力で耳をそばだてているかもしれないよ!さあ!お漬物をどうぞ!!

          さくさくさくさくさく・・・

          個性的 個性、敵?

          個性というものはそんなに声高に主張しなくても、自然とにじみ出てくるものなのだろうと思う。みんなと同じ服を着て、同じ髪型にしたって、どうやったって出てくる。パソコンで同じ文字のサイズで、同じフォントで、打ったって現れるもの、それが個性なんだろうと思う。 この記事だって、毎日読んでいれば私がどんな人なのかわかるかもしれないよ。

          個性的 個性、敵?

          いないいない(3年後)ばあ!

          マスクをした顔しか知らない人といると、その人の顔を構成する要素が目とマスクしかないように無意識のうちに思い込んでしまうことがある。だから、ふとした時にその人がマスクを取った顔を目にすると、「あ、そうか。この人にも鼻や口があるのか」というごく当たり前のことに気づいてはっとしたりする。普段見えてないイコール、「ない」わけじゃないもんね。 「いないいないばあ」の「いないいない」の部分を2,3年続けた後に急に「ばあ!」ってされてるようなものだから驚いて当然なんだけど。 「いないいない

          いないいない(3年後)ばあ!

          持ってないんだけどね

          フタがコップになるタイプの水筒というのは、子どもの頃は遠足の必需品だったりしたものだけれど、大人になってからはあまり使わなくなってしまった。マイボトルは持ち歩くけれど、フタを取って直飲みできるタイプのものやタンブラーのようなものを主に使っている。 でもよく考えてみると、このフタがコップになるタイプの水筒って、とても合理的だ。水筒本体に直接口はつけないから、中で雑菌が繁殖することもないし、熱々の飲み物を飲むときもコップに入れてワンクッションおくことで、口の中をやけどすることもな

          持ってないんだけどね

          いったいわあ

          散歩から帰ってきた犬の様子がおかしい。 しきりに右前足を気にしている。どうやら痛む様子で 「いったいわあー。手ぇ、いったぁ」としきりにぶつぶつ言っている。 「いや、手じゃなくて、前足な」という周囲の声も無視して、ずっと「いったいわあ。これ、オヤツでももらわんとやってられんわあ。いったあ」と言っていたが、いつの間にやら治ったらしく、ケロッとした顔でまた走り回っていた。 犬に限らず、体のどこにも痛いところがないって、本当に幸せなことだよなあと思った。

          いったいわあ

          少なくないなと思うことも少なくない

          電車の中で本を読んでいる人って、もうそれだけで好きだ。 10人掛けの横並びの座席があったら、7,8人がスマホを見てることもあるけど、5,6人が本を読んでることもある。 自分が本を読むのも好きだが、人が本を持ち歩いているのを見るのが好きだ。 本は、インスタやYouTubeなどの画像や映像と違って、ぼーっとしているだけでは何も受け取ることができない。自分から文字を拾って読み進めていかないと、ただの記号が羅列された紙の束でしかない。だから、疲れていたりすると文字を目で追っても、まっ

          少なくないなと思うことも少なくない