見出し画像

継続と収穫

春というのは、事の終わりと始まりの季節だと思う。
何かピリオドを打つ人もいれば、新たな挑戦をスタートさせる人もいる。そういった体験が、その人やその人生の糧となり、価値となるのだと思う。素晴らしい事だと私は思う。

一方で、そういった締めはあれどまだまだ続いていく事柄もある。
朝食、家事、掃除、洗濯、仕事、趣味、決め事…とか。
そういった日々続いていくものは変わらずではあるが、そういった日々の中にも季節があり、それらをゆったり感じたり、何か些細な変化があったり、変わらないようで変わっていく物なのかもしれない。

2月頃から、ウォーキングを始めた。
毎日ではないが、可能な日に2時間程度、大体10km、1万5千歩歩く。外に出る事が得意ではない為、最初は中々にキツかったのだが、今は大体5日〜6日程度歩いている。
キツい。しかし、少しずつ楽しくなってきている。3月の中頃から、2kg程落ちたのだ。キープも出来ている。最高だ。
外に出るので、日焼け止めも塗る。それを落とすために洗顔して、化粧水と乳液とクリームを塗布して、動く為に食事もしっかりいただき、お風呂や日々のやる事も熟す。
これ、所謂「丁寧な暮らし」なのでは…?
だって、3食分の献立のバランスはそうだし、お風呂と家事もやって手入れもして、自分や身の回りに気を使って…「丁寧な暮らし」なのでは?

世の中は「効率的な時間の利用」が求められているらしい。所謂、タイパというらしい。
私も、それに近い生活を送っていた。が、それも過ぎた話だ。
マルチタスクが限定的なものになってしまった現状は、そんな事をしても物事を噛み締めることが出来ない。
風呂やご飯でさえ「飽き」を感じ、やがて苦痛になってしまった私にとって、物事は「クエスト」であり、それを終えた後の「報酬」に喜びや実感を感じている現状、せかせかよりもまったりもったりした方がいい。それが、私自身の「トリセツ」なのかもしれない。

かくして、定期的な有酸素運動に励むことになったのだが、問題なのは「絶えず行われる思考」だ。
私は、ADHD特有の反芻思考が止まらない体質である為、一人歩いていると「色々」を思い出してしまうのだ。それが楽しければいいのだが、悩むという事は逆な訳だ。
そんな事もあり、イヤホンを購入しようか迷っているのだが…有線だとコードと服の摩擦音が気になるし、ぼちぼちなワイヤレスは以前早い段階でバッテリー上がりが起こってしまい、中々悩ましいのが現状だ。
しかし、「毎日」は楽しい方がいい。掃除も洗濯も、もちろん、運動もだ。そのとっかかりとして、イヤホンが欲しいのだが…果たして、プチプラ価格の化粧品の様に、安価でもぼちぼち使えるものはあるのだろうか…。
とりあえず、私の持病や障害や金銭事情に理解がある友人に相談してみようと思う。

春は、始まりと終わりの季節だ。しかし、継続と結果の季節でもある。
それらがグダグダになってしまうかもしれない。しかし、「グダグダになった」という事実を込み込みで「結果」にしていかないといけないのかもしれない。
何も、仕事以外で完璧を求める事はそうそうない上に、それも「結果」なのだから、それをどうにかするのは「自分」なのだから、ぼちぼちやっていこう。
自分の為に、報酬の為に。

おやすみなさい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?