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【写真展「A」】内実とは


深夜だから綴れる言葉や許される重さ、あるよね。わかんないけど。

今日はそんな話、かもしれない

最近また更新をしていなかった。
あまりにめまぐるしく動く日々のなかでは
ついつい"記録"を止めてしまう。

部活、勉強、バイト、+αでどんどん時間が流れていく。
もともとよく考えてから行動するタイプの僕にとってそれは恐怖でしかないけれど、
その波にのまれて、かろうじて息をしている。

そんななかで思うことは、
"僕はまだ僕でしかないな"ということ。

以下は、3月の写真展「A」に出展した「内実」という作品の一部だ。

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紅いまま、脆く朽ちた果実を拉ぐ
つぶれる えぐられる こわれる
耐えがたいほど生々しかったあの痛みは、しかし
もう僕のなかにはのこっていない

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

(写真展「A」作品コメントより)

他の出展者の方、来場者の方ともに、一人称が「僕」である意味を訊かれることが多かった。

ひとつの正解として、このコメントにある「僕」には、未熟さやもどかしさが内包されている。
りんごに思春期の心を重ねたイメージで制作したので、コメントもできるだけそれに近づけた。

制作したときは、「そんなころもあったなあ」という回顧/懐古のつもりだったけれど、
がむしゃらに過ぎ去る日々に、他人事や過去の事ではないような気がして。

あーーーーー、だめだ自分。まだまだだ、な。

なんて今更、過去作にちいさく刺される今日。

そんなとりとめもない、お話。

暗いようで、がんばろー。とゆるゆる思ってもいるので、いいことにしよう、

素敵な日々がつづきますように。

moca

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