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あれは確か7月6日、戦争映画を見過ぎたせいか
昨日上津神社で寝てたせいか、気がついたらもう



今日も、学校には行きたくなかった。
GWに入れたバイトのレジ打ち業務、学校で初めて話した人、僕と真逆の性格だった。
とにかく、これらを咀嚼する時間が必要だった。

ひとつ付け加えるなら、滞納している本を読み切っていなかった。読み切らずに返してしまうと滞納処分のせいで中身を忘れてしまう、だから滞納するのだ。僕のせいじゃない。


急遽引き受けたライブの出演までに、エフェクターボードを作らなければいけなくなり、楽器屋に行く必要が出来た。

でも渋谷だけは行きたくなかった。
学校を休むと決めたのに通学路は通りたくないから反対方面に行った。
あぁ、シフトの連絡をしていないことも思い出されてしまった。最悪だ渋谷。


図書館にでも行って時間を潰そうと思った矢先、芸大展示のお知らせがTLにどんぶらこ、どんぶらこと。
「Punk!」
こんな名前付けられたら行くしかない。

かれこれフラストレーションに支配されていた受験期、僕の心は荒み、病み、パンクだった。
この世の全てを破壊したかった。目の前の人を突然殴ってみたかった。
きっかけは忘れたが激しい音楽を求めた。
ぐちゃぐちゃの頭の中を、ファズが上書きしてくれた。
静かな自習室の中で、の子が、峯田が、ヤマトが僕の苦しみを叫んでくれた。彼らを明確にパンクと定義することが正しいのかは僕には分からないけれど、この体験が「パンク」であることだけは誰にも疑えない事実であった。
しかも明日までなんて嘘だろ、明日は学校に行くのだから。

次は渋谷、渋谷。

滞納中の椎名林檎論を読み耽り、
僕のTwitterがシューゲイザーフィルターバブルにいるせいで、毎日目にしていたmy bloody valentineを初めて聞き流したものの僕にはまだ、分からなかった。


上野に行くのは藝大の二次面接以来だ。


しかし、僕の受けた学科は殆どの受験生が二次に進んでいたことに気づいたのは面接資料を前に講堂で順番待ちをしていた時だった。だからなんてことは無い、英語も苦手だったのはずっと克服できず面接でもそこを突っ込まれたことを鮮明に思い出せる。
今考えれば、行こうとしていた北千住は江古田よりもずっと遠かったのだ。だとすれば、少しは理にかなった判断だったと捉えた。

上野着。

首筋が痒くなる日差しの強さが、腰掛ける老人の視線が、校外学習の小学生が、目について仕方なかった。


Punk!は僕の頭をすっきりさせてくれた。
パンクを展示すること、勉強することの行為全てが明確にパンクを殺していた。
錯誤を起こしたアティテュードからいつまでも抜け出せない人達が僕と同じ道を辿っていくことを
何も感じずにいることはできる訳もなく、より1層my bloody valentineに拠り所を求めた。

つまり、パンク親殺しなのだと思った。

まじまじとインタビュー動画を見ていた彼らは、権力構造に異議を唱え破壊し、進化させたムーヴメントの行き着く先は何か考えたことがあるのだろうか。反証的に、パンクを展示する事がパンク自身による大々的なスーサイドであるように見えた。パンクは、パンクが敵とみなしたモノになってしまったことを反省するかのようだった。
パンクは僕にこう訴えかけていた。

「早く、トドメを刺してくれ」

CRASSというバンドのドキュメンタリが流れており、皆かじりつくように眺めていた画面は、僕には武勇伝を語るおじさんの1人でしかなく、彼らの言うことは学ぶべき視点も多かった。それはどんな年上もそうだ。だが、模倣するべきではないということは確かだった。

飢え、叫び、殴ってきた彼ら。
帰り道、芸大前の上島珈琲店を通った時、この展示に呼び寄せられた典型的なモヒカン頭がテラスに座っていた。
彼らは肥え、くつろぎ、留まっていた。
だから僕がトドメを刺さなければいけない。

そのための、親殺し。

数日間、僕はなんのために音楽に固執しているのかずっと忘れていた。思い出したくても思い出せないところに仕舞っていたからだ。
受験は残酷にも、僕らの内心を綺麗に見繕うことになる。
教授達に棘が向かないように、寧ろ好むように、心の中を片付けた。それはインスタ向けに写真を取る時に僕らがやることと同じだ。「見る人」のことを第一に考えて自分を再構築すること、これが何より自分を忘れさせてしまっていた。


上野は人で溢れかえっていた。
「マスク取ってー」とカメラを構える旅行客、
芸術をダシに彼女いい所を見せようとする彼氏、
何十万の楽器を背負う学生、スタバのママ友、

木陰には、配給に列をなす何人ものホームレス。そして僕。

あまりに残酷な街だと思った。文化の街は平和と寛容を体裁に資本主義をまじまじと見せつける。

もし貴方が、あの街にいても心が痛まないのならきっと幸せな生活なんだと思います。パンダを見て満足して帰れる、分からない標本を見ても友達と来れたから満足できる、幸せだと思います。

満腹の人間はデザート1つで幸せを感じ取れる。
飢えた人間はいくら渡されても物足りない。
あの街に住む彼らは果たして、目まぐるしく変わる展示を見ることが出来るのだろうか。

大人1800円、高校生以下700円。

誰の為に芸術があるのか、上野という街が大きなアート作品のように思えた。まさに、アートの街を体現しているではないか。

上野と渋谷、立地も何もかも真逆な街、僕はそのどちらにも弾かれてしまったようで。
逆にほっとしたのだ。属せないことに属しているからである。さらば

渋谷に着く頃には、Lovelessが体に染み付いて離れなかった。


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