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寝起きに風と音と光が気持ちよければ俺は「幸せ」と感じるかもしれないって話

世界各国の物書きでまわすリレーエッセイ企画「日本にいないエッセイストクラブ」。13回目のテーマは「しあわせ」。ハッシュタグは #日本にいないエッセイストクラブ 、メンバー以外の方もお気軽にご参加を!過去のラインナップは随時まとめてあるマガジンをご覧ください。

テーマは「幸せ」。

幸せ、幸せ、幸せって何かなぁと考えてみたところ、38年間生きてきて、あまりピタッ!と来るシーンが思い浮かばないことに気づいた。うれしい!たのしい!おもしろい!とかだったらなんぼでもあるにはあるけど、普段から「幸せ」という言葉を意識することって少ない気がする。というか、ない?

今、幸せですか?と聞かれても答えることも難しい。良いこともあれば、悪いこともある。幸せという言葉に対して自分はガードが固いのかも。だって最上級な気がするやん。ミシュランガイドの調査員がそうやすやすとは三ツ星あげないみたいな。あげないのか?あげないだろうたぶん。賄賂とかもらってないだろう知らんけど。知らんけど知らんけどー。SHIRANKEDO!パッと見るだと、ちょっと「SHISEIDO」と見間違えるねSHIRANKEDO。

そんなことを考えていると、記憶の中に幸せという言葉にわずかに引っかかるシーンがあった。ルアンパバーンだ。ラオスの観光地、ルアンパバーン。

©Alcyon

川のせせらぎとシーリングファンが「幸せ」

ベトナム移住のきっかけとなった職場を4ヶ月でスピード退職したあと、しばらくやることもなかったので他の国に旅行がてら行ってみることにした。ラオスと言ったらルアンパバーンだよと薦められて、一泊。今思えばどうせ無職だったのだからもう少し泊まればよかったのに。

世界中から観光客が訪れるとはいえ、素朴とも言われるラオスの国民性に輪をかけて、素朴な地方都市の人たち。ナイトマーケットも押し売りされることなく、ほどほどにコミュニケーションを楽しんだあと、昼間に全身で吸い込んだ太陽熱をシャワーで冷やしてキングサイズのベッドに突っ伏した。

なんかすっごいいい夢を見た。

内容はもう覚えてないけど、起きてすぐに「自分史上最高夢!」と思ったことは覚えてる。まぶたを開くと、薄暗い中でゆったりと静かに回るシーリング・ファン。時間は深夜っぽい。それにしても昼間はうだる暑さだったのにずいぶん風が冷たいんだなと思ったら、どうも宿のそばを流れる川が辺りの空気を冷やしているようだ。バルコニーに続くドアを開け放して寝てしまっており、さらさらとせせらぎが聞こえる。

バルコニーに出ると、月明かりに照らされて辺りは深い青一色に染まっている。明かりは川向こうの遠くに見えるひとつだけ。事前に地図で調べたとき、こちらより星二つは多そうなリゾートホテルがあったのでそれだろう。

それから10年経ってもいまだにありありと思い出せるのが、あのとき「なんか幸せだな」と思ったこと。この多幸感、ドラッグでトブってこんな感じ!?と思ったもんだ。やったことないしやることもないですけど。

そのときの物理的な環境もそうだけど、意を決して飛び込んだベトナムで、実際の仕事が聞いていた話と違っていて、我慢してまで続ける義理はないと辞めた直後というシチュエーション。そんな開放された心理状況とリンクしたということもあったからなのかな。

こうして当時の情景を描いていたら、引っ張られるようにしてもうひとつ、「幸せと思った瞬間」を思い出した。ルアンパバーンから一年も遡らないけど、はじめての海外旅行で滞在したフランス。どうしてもモンサンミッシェルが見たくって、アジアも含めていろいろ行った中で最高額のお金をはたいて、バルコニーからバッチリモンサンミッシェルが見える宿に泊まった。

夕暮れはさぞかし美しかろうと思って構えていたら、いつの間にか寝てしまっていて、ひんやりとした空気の中で目が覚めるとすでに真っ暗闇だった。「一泊しかしないのにマジかよー」と思ったけれど、暗闇の中で光るモンサンミッシェルもそれはそれでRPGの魔王城のように美しかったし、そもそも世界遺産を前にして寝過ごすという状況に贅沢を感じてしまって、あれはルアンパバーンのときに感じた幸せ感にちょっと似ているかもしれない。

なんて書いていると、続々と思い出してきたぞ!

そのあと行った、イギリスのソールズベリーだ。ストーンヘンジが見たくって泊まった地方都市。夏で、夜20時でも夕暮れどきがつづいていて、背の高い草が太陽の光を受けて黄金に輝いていた。羊は鳴き、小川は輝き、カルガモがゆうゆうと泳いでいる。あの状況にも「幸せ」を感じたものだった。

自分の幸せの鍵は「寝起き」と「心地よさ」

なんか、世間の「幸せ」の定義から遠く離れている気はするけれど、このエッセイを機に自分にとって「幸せだ」と感じる傾向がちょっと掴めた。

ルアンパバーンとモンサンミッシェルで感じた幸せは、ひんやりとした空気の中で目が覚めると早々に、美しい光景や音を五感でキャッチしたという状況だった。それはある種の心地よさなのかもしれない。ソールズベリーは寝起きじゃないけど、幸せ度でいえば前の二つの方が強いので腑に落ちる。

ちょうどこれを書いている今19時すぎで、空が赤色に染まっている。自然といえば、今住んでいる沖永良部島もなかなかだ。高層ビルはなくとにかく空はだだっ広い。ただ、今は祖母の家にいて、別に眺めは良くないんだよなぁ。家も祖母仕様で清潔じゃないし(ってここで言うことじゃないけど)。

またあの幸せを感じたいなら、眺めの良いところに家を建てて(住んで)、さらに眺めの良い部屋にベッドを置くことだろうな。あと、シーリングファンがあれば完璧。うん、今想像すると、確かにそれは幸せだと感じるような気がする。ようやく掴めた、俺の幸せの定義。

でもそれって、やっぱり世間の定義とずれてるよなー。だって一人で成立するで。それって幸せか?まぁ、いいか。そうして水嶋は考えるのをやめた。

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バトンは森野バクさんにお渡しします!
前回の記事はこちら~!

Mタイム(単一的時間)とPタイム(多元的時間)の話、めっちゃおもしろいです。時間軸を、ひとつだけ持つか、複数持つか。

予定通りに進まないことは本当にベトナムでも山ほど経験して、たとえば鉄道が故障して、平気で4~5時間足止めをくらうとか。そこでふと思い出したのは、自分は考え事のために時間を取ったりするんですよね。それ自体は別に珍しくないけど、そういえばベトナム以前もそんなことしてたっけ?と。企画系などの考える仕事が増えたこともあるけど、ひょっとすると、ベトナムでどうにもならない待ち時間が増える中で身についた習慣かもなと。

そういえば、今、島の外国人(技能実習生か特定技能)の移動手段が基本的に自転車なので、バスの時刻表やルートを伝える冊子をつくれないかと考えているんですが。日本人が「バスは時間通り来るもの」と考えていることの逆で、ベトナム人をはじめ「バスは時間通り来ないもの」となんとなく考えている可能性もありますよね。沖永良部島は意外と正確なんですわ。


ぜんぶうまい棒につぎこみます