見出し画像

泣いたあかりちゃんと泣いた俺

「当時の素材がほしい」。1年と少し前、友人たちにインタビューした動画をYouTubeに上げようとした。結局公開までせず、結果として裏切ってしまって申し訳なさを感じていたんだけど、先日そのひとりから言われた言葉。

それが組み込まれた動画がさっき公開されていたので、見たところ、一年以上ひさしぶりになるだろうか、感極まって泣いてしまった。そのタイミングが今で、本当によかったと思う。泣いたということがずばり、自分の心が限界に来ていたということだろうから(インタビュー動画は13:30頃から)。


俺は自分を器の小さい人間だと思っているし、隠しようもなくバレバレなんだろうと思っている。憧れて、頑張って、努力してきたつもりだけど、認めてほしいという思いは見透かされて、自信を積み上げては失って、そんな自分をあざけわらっている人もいるんだろうって。そこに妄想で水増しし(ほとんど妄想かもしれない)、見返してやる!というモチベーションで自分を奮い立たせて、のたうち回って、虚栄心ばかりで、どうしようもなく重症。

昨日引いたおみくじに「よく切り抜けて来られたものだと思う」と書いてあり、はじめてこの類のものに胸を打たれてしまった。ありがたいことに、自分程度のやつでもすごいというもったいない言葉をかけてくれる人達はいるにはいた。でも昨日ようやく気づいたのは、俺はただ、誰かに労ってほしかったんだろうと。「すごい」よりも「がんばったね」と言ってほしかった。

踏み出すための励ましよりも、休んでも許される労いがほしかった。それを踏み出しつづけることでずっと気づかないようにしていたのかもしれない。

こんな自分じゃダメだ、という声をずっと自分にかけている。能力が足りない、実績が足りない、お金が足りない。そう思って9年。モチベーションは底なしと思っていたが、最近飛び込んだら、突然脳天をぶつけてしまった。

労われたい。その思いは今でもあるが、冒頭の動画で少し気が楽になった。

動画の主を俺はあかりちゃんと呼んでいて、彼女はaNcari Roomという12万以上の視聴者がいるチャンネルを持つ、いわゆるYouTuber。たぶん4年前、共通の友人(彼もペレストロイカ岸本っていうおもしろい人物なんだけど)を介して出会った。日本人街のはずれにあるもつ鍋屋だったと記憶してる。

ブカブカのウィンドブレーカーを着ていても華奢だと分かるその女の子には、当時YouTubeで400人のファンがいた。今と違ってYouTuberという肩書が色眼鏡で見られる時代で、俺もおこがましくも評価を保留にしていたが、ベトナムに来た日本人の女の子にファン400人はすごい話と純粋に驚いた。

そして何よりもうれしかった。日本で就職せずにベトナムへやって来て、でも働かずにYouTubeをやるなんて、この子は勇敢なバカだ。合理より意志を優先している。人生に人生をベットできる人間だ。同時に「ようやく自分の同類に会えた」と思った。長かった。だから「絶対うまく行く」と言った。それらしい理屈を並べ、最後に「だからうまく行く」と、連発したと思う。

紛れもなくそれは自分自身への言い聞かせでもあった。この子がうまくいかなければ、俺がうまくいける訳がない。失礼ながらあのときは、あかりちゃんに押す太鼓判のその先に、自分をなじった人達の顔を思い浮かべていた。

それからしばらくどちらもホーチミンにいて、当時はライターとしてなんとか食えるようにはなっていたので、取材を手伝ってもらったら先輩面で飯をおごるようにしていた。そうこうしているうちにあかりちゃんはYouTuberとして駆け上がり、3~4年で400人のファンは現在の12万人まで膨らんだ。

途中、自分は編集の仕事が中心になる流れでタイに居を移し、またベトナムに戻り、1年以上空いてあかりちゃんと再開して話をした。冒頭で書いたインタビュー動画はそのときのもの。お願いしておいて思うあたり最低だが、時間をとってくれたことは意外で、なんなら義理で会ってくれたと思った。それくらい、俺にとってのあかりちゃんは大物になっていたからだ。編集という仕事を楽しみながらも、どこか自分の作品そのもので生きていけなかったことに対する思いが彼女への尊敬と嫉妬に変わっていたのかもしれない。

だから余計に、「この先を悩んでいる」と言う彼女に、俺は本心から「シンデレラが何言うてますねん」と思った。だって、ファンの人数も400が12万(当時は8~9万だったか)で、YouTubeの外でもGoogleのイベントに呼ばれたりテレビ番組に出たりさ。何だったら俺あなたにちょっと、いやけっこう嫉妬してるくらいなのよ?応援しておきながら…というくだりの大半は喉の奥の方で噛み殺したが、それでもさすがに悩む環境にもいないでしょ?と。

が、俺の良いところなのか悪いところなのか分からないが、話してるうちに昔に戻ってそんな猜疑心は吹っ飛んで、応援モードに入ってしまう。そもそも本当に悩んでいたら、応援しない訳にはいかない、応援したい。そのうちに彼女の目には涙がにじんで、(すまん、マジやったんやな…)と思った。

そんな出来事が今から一年と4カ月ほど前にあり、自分でもどこに保存したかあいまいな状況で、ひさしぶりにオンラインでつないで話す中で、「素材を使いたい」という話。それをつい3日前の大晦日のこと、「ベトナム4年目の壁」としてあかりちゃんが動画として公開したという経緯。まさか活動を諦めることも考えていたなんて、我ながら結果的にグッジョブと思うが、これが回り回って自分に良い形で返ってきて、あかりちゃんグッジョブと。

グッジョブと軽く言うには、お互いにシリアスだったと思うが…。

***

あのとき悩んでいたあかりちゃんは今、新しい挑戦に立ち向かっている。めちゃくちゃ忙しいはずだが、そんな中で動画を出してちょうど弱っている俺にシッカリとメッセージを届けてくれた。そんな訳でだーっと泣いてしまって、これを書いているうちに涙のあとも乾いて指でこすってもサラサラだ。

あのときはあかりちゃんが泣いていたので、まるで立場が逆転してる。

大切な人たちを大切に思いつづけていれば、こうして自分が弱っているときに助けてくれる。それは労いではないかもしれないが、自分がしてきたことに意味を見出せる。自分で書くのもなんだけどー、あかりちゃんはインタビューの最後の方で「ネルソンさんは自分で思う以上に人を助けてる」と言ってくれた。そうかな~?そうだとうれしいね!…と適当に返事したけれど、こうして形で教えてくれたからには今はそれを労いの言葉にしようと思う。

「おもしろいことしたい」から「人の役に立ちたい」に姿勢が変わっていった背景には、「すごい」よりも「ありがとう」がほしくなったからなのかもしれない。今までいただいたすごいを活かして、今はありがとうがほしい。

あかりちゃん、これからも君は絶対うまく行きます。そして俺もね。


ぜんぶうまい棒につぎこみます