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幸福

「私は思うんだけどね」というのが杏の口癖だった。僕はそれを聞くたびに、よくもまあそんなにも思うことがあるものだ、と感心した。大抵の場合は感心するだけだったけれど、たまには口にも出した。

「よくもまあそんなにも思うことがあるものだね」

 すると杏は表情をむっとさせる。「すごく嫌な言い方だよね、それ」

 僕はえっ、と驚いて否定する。

「そんなことない、感心してるんだよ」
「感心してる人は、よくもまあ、なんて言わないものよ」
「そうなのかな。世間のことはよく知らないけど、僕は言うんだよ。感心すれば、よくもまあ、とも言うし、いやはや、なんてのも使うかな。でも大体は、よくもまあ、って言うよ。うん、言う」
「嘘だね。これまで君は感心した時には、いやあなるほど、とか、なるほどなるほど、とか、そんな感じのことを言ってた」

 そんなことを言われると僕はまたえっ、と驚いてしまう。

「驚いたなあ。僕にはちょっと分からないけど、そうなのかな。すごいな。君は僕より僕のことを知ってるのかもしれない」
「感心した?」
「そうだね。いやあなるほど」
「ほらね」

 杏はにやりと笑った。僕は降参した。

「降参だ」
「白旗ですか?」
「そうだね。平和の鳩を飛ばすよ」
「その鳩が上手く陸地を見つけられたらいいけど」
「それってノアの方舟の話?」

  僕が聞くと杏は素直に驚いたようだった。

「へえ」杏は素直に驚いて「君も聖書とか読むんだ」

「いや、そんなこともないけど」
「両親はクリスチャン?」
「どうかな。どうなんだろう? よくわからないけど、ちがうんじゃないかな。教会とか、そういうのは行ったことないし」
「ふうん」杏は僕の顔をまじまじと見ながら答えた。
「そんなに変かな、僕がノアの方舟について知ってるのは」
「いや、まあ、別にいいんだけど」
「そっか」
「うん」

 会話はそれでひと段落した。それから少しの間は沈黙が続いた。僕と杏は特に話題がなければあえて話さない。話さなくても一緒の時間を共有することはできるのだ。

 沈黙は沈黙それ自体として意味がある。沈黙という会話がある。少なくとも僕はそう思っている。杏はどうなのだろう? わからないけれど、同じだといいなと思う。

 ふいに杏が口を開く。

「そういえば」と言って、唇を軽く舐めてから、「わたしたち、もう付き合って3年になるんだね」
「えっ、今日って記念日かなにか?」と僕。
「いや、別にそうじゃないけど。だいたい3年くらい経つなあって」
「そうか、もうそんなになるんだね」
「わたしたち、案外、しあわせよね。お互いに楽しんでいる気もするし」

 僕は杏のその言葉に少し嬉しくなった。

「そうかな、楽しめているかな」
「うん、そう思うよ」
「それならよかった。嬉しいよ」
「わたしも嬉しいよ」

 杏もたしかに嬉しそうに見えた。それは僕にとっての幸福だった。

「ねえ、杏」
「なに?」
「結婚しようよ」
「なに、急に? 本気?」
「うん、本気」
「そういうのはもっとムードのある時にさあ」
「いま、僕はすごく幸福を感じたんだ。だから今だった」

 杏は少し考えてから、

「そうね、わたしも幸福を感じてた。ならいいのか」
「うん、きっと」
「そうね、結婚しよう。いつ籍入れる?」
「今日とか無理かな?」
「いろいろ手続きとかあるでしょう? 両親への挨拶とか」
「そうか。でも結婚記念日は今日にしない?」
「うーん。まあ、いいよ。幸福を感じたわけだし」
「少しややこしくなるけど、そうしよう。ね、それがいい」
「わかった、そうしよう。ありがとね」
「なにが?」
「わたしなんかと結婚してくれて」

 僕は心からの幸福を感じながら答えた。

「僕の方こそありがとう」

(2024.4.17)

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