宇宙論
わたしたちは支え合って生きているだなんていったい誰の文句だ? わたしは一人で生きている。いつだって一人だ。生まれた時から。もしかしたら生まれるずっと前から。
わたしたちは支え合って生きているだなんて本当にいったい誰の文句なんだ? 信じられない。誰もわたしのことなんて支えてくれていない。わたしは一人で立っている。
昔、学園もののドラマで、『人』という字についての講釈があった。『人』という漢字は、人と人が支え合っているからこういう形をしているんだとかどうとかこうとか。それを聞いた時、わたしはぞっとした。人という字なんて、永遠に書きたくないと思った。
家族や友人に支えられて、世界の人々に支えられて、神さまや天使や精霊に支えられて、わたしたちは生きている。なんてことだ。わけがわからない。わたしの孤独はいったいどこへ行ってしまったのだ? わたしたちの孤独は?
わたしは孤独を愛している。孤独のまま死にたい。生まれてなんてきたくなかった。わたしは病を抱えている。こんな身体で生まれるなんて酷だ。生命の尊厳に反している。
ちなみに言っておくと、これはわたしの独り言である。他者のことは一切考えていない。人それぞれの尊厳については、おばあちゃんに教えてもらう知恵や、学校で習う道徳や、個々人が読み漁る難しい哲学の本に任せておけばいい。わたしはわたしの尊厳について考える。わたしは孤独なのである。孤独な時間に何を考え、何を独りごちようと勝手でしょう? それくらいの自由は赦されるでしょう? ねえ、神さま?
わたしは誰のことも愛さない。わたしは誰のことも支えない。わたしは誰にも恋しない。わたしはわたしのことだけを大切して、わたしはわたしだけの世界で生きる。
ねえ、神さま? そんなことも赦されるでしょう? だって、生まれてきたんですもの。
ねえ、わたしたちは支え合って生きているだなんて本当の本当にいったい誰の文句だ? 知らないよ、そんなの。わたしは孤独に生まれ、孤独に死んでいきたい。何も食べないで、眠りもしないで、セックスやマスターベーションもしないですむのならそれに越したことはない。承認欲求もない。誰にも知られたくない。
ああ、神さま。わたしのこんな独り言を聞いてくれますか? 音楽のように聴いてくれますか? 絵画のように見てくれますか? 映画のように観てくれますか? 小説のように読んでくれますか? それだったらいいな。それくらいの嬉しさは持っていてもいいでしょう?
ああ、神さま。誰のことも傷つけたくありません。それならいっそ死んでしまった方がましです。死なせてください、ねえ、神さま。
それでも自分で死ぬのは嫌。わがままかしら。いいよね、別に。勝手に生まれてきてしまったわたしたち。
生きるしかない。自分で死ぬのは嫌。自分で死ぬのは嫌。自分で死ぬのは嫌。自分で死ぬのは嫌。自分で死ぬのは嫌。自分で死ぬのは嫌。自分で死ぬのは嫌。自分で死ぬのは嫌。
わたしは生きる。誰にも支えてもらわず、誰の救けも求めず、静かに、霞を食べるようにして生きる。それでいい。
そんなことが叶えばいい。夢を見る。素敵な夢を見る。
あなたたちの支えの中で夢を見る。
(2024.4.14)
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