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わたしだって自分の価値が失せるのは恐ろしいよなあ。

副業として勤めていた現職場をメインにすげ替えてそろそろ半年、勤続は1年ちょっと。
この職場でもいつもの呪いが発動してる。

携帯屋の経験か、それとも仕組みを読み解くASDの特性か、一般的に使われるソフトやサービスのUIは見たら大体わかる。
そもそもUIとはそういうものなのだと思っていたらそうじゃないようで、何処の職場でも「コピー機が何か言ってる」「関数壊したから直して」「スマホがおかしい」「何かエラー出た!」次に続く言葉は「霧生さん何とかして!」

所属の序盤は使えるテではある。「○○に詳しい人」という肩書きがわたしを認知させてくれる。いちいち挨拶回りや顔と名前を覚えたり出来ないわたしにとって、周りが勝手にわたしを知っている、というのは都合がいい。

しかしこの後には高確率で「あいつがいるから大丈夫」ひいては「私は出来なくてもいい」の認識を持つ同僚に囲まれる展開が待っている。こうなるとダメ。

ADHD+ASDのわたしはどうやら学習意欲が強化されていて、(後から忘れるとはいえ)知ることそのものが楽しいから、目的がそのまま報酬といってもいい。同レベルのお遊びを他人に求めることは土台無理、と、思ってはいる。

それでも学ぼうとする、なんて大袈裟でなくともいい。知らないことを知ろうとする、マニュアルを調べようとする姿勢、発想、それさえ無い。
もうまずそれ自体が理解しがたいのに加え、そういう面々と同じ空間に居続けるという事が自分の価値が高くないと証明しているようで、具体的に要求を表示しているエラーにさえ向き合わない同僚が、我々発達特性を持つ側には理解できないコミュニケーションを平然として見せる理不尽さに腹が立って、最終的には対人関係を焦土に変えて退職するのが所謂「お約束の展開」。

それでは同僚がそれなりの努力を見せれば気がすむのかと言えばそう単純でもなくて、一度掌握したものを横から持っていかれるのは我慢がならない…というか、自分の納得する強さの相手に捩じ伏せられない限り納得出来ない、極めてめんどくさい業務に対しての縄張り意識みたいなものがある。

「無責任に丸投げしてくる不誠実さ」に腹を立てながら「調べればわかる」自分は「既に知っている人」には勝てないことを知っていて、例に漏れず自己肯定感が低いためにそれらに「追い抜かれる」ことに恐怖しつつ、それへの敗北でなければ納得できない。

誤解されがちだけど自己肯定感が低いことと、積極的に自分の価値を否定しにかからない、というのは別物で共存する。

幸いと今の職場では新しい業務も宛がわれるし、実のところは(上席はそう思っていないとしても)「給料を受け取って勉強している」状態に近い。年齢的にも「人に指示する」「教える」が許される。

自分の組み上げた仕組みを手放して、他人による改良を許す、仕組みの構築の段階から他者を巻き込む、話のペースが遅くても苛立たない。

せめてこの辺は許容出来るようにならなければ、「お約束の展開」を経て今度こそ働けなくなるなと思っている。

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