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幸せの記憶(クリスマスの夜に)

 何年か前のクリスマスの午後9時過ぎ。
 家から自転車で行けるエクセルシオールカフェで、一人で泣いていたのを覚えている。
 目の前の席にはディズニーランドに行く話をしているカップルがいて、私の手元には大学時代の研究テーマの本があった。どうしても家にいたくなくて、勉強できる場所を探していた夜のことだった。




 その翌年のお正月には兄が「自殺してくる」と言って多摩川になぜか段ボールを探しに行って、母親は泣いていて、父親は一人でテレビを見ながらお正月のご飯を食べていた。
 私は兄に「お母さんが泣いてるから帰ってこい」とメールを打って、涙が落ち着くまで母親の背中を撫でて、一人だけ他人事の顔でいる父親に怒鳴っていた。それから、仮住まいをさせてもらっている親族に、母親のちょっとしたミスで朝ご飯が親族の希望どおりに準備できていなかったことをお詫びしていた。


 あの頃の「家族」の崩壊具合は今振り返れば笑い話だと思う。ちなみに兄は夜遅い時間に帰ってきた。段ボールの中で寝泊まりしてそのまま衰弱死しようと思っていたらしいが、メールを見て帰ってきたらしい。ちなみのちなみにメールを打った本人は(そのまま死んでくれてよかった)と思っていた。でも母親が安心している様子を見て、自分の感情のことは諦めた。

 それぞれが何もできずに一番弱い姿をさらけ出していた「家族」が、自分にとって一番大切なものだった頃と同じような「家族」らしい形になるよう、当時の私は必死で取り繕っていた。

 それら全てを本当は自分一人で背負う必要がなかったかもしれないと気づいた頃、私は実家を出た。





 今年のクリスマスの午前11時45分。最近知った近所のカフェに新聞を読みに行った。店主のご夫婦からお誕生日のお祝いに頂いたプレゼントのお返しに(気持ちばかりの)手描きのクリスマスカードをお渡しした。
 ご夫婦の嬉しそうな顔を見て、感情のメモリーに「喜び」と記録をした。

 新聞を読み終わったあと、ジムにいつものトレーニングをしに行って、だいたい近所の生協で買ってきた食材で手作りのオープンサンドをいろいろ作って食べた。

 それからいつも花を買う雑貨屋さんにサービスブーケを買いに行った。
お会計をしているとき、「これもだよね?」「うん」とお店の方が小さくお話しているのが聞こえた。
 ブーケを渡してくれるお店の方の手には、頼んでいなかった一本のバラがあった。


 「クリスマスだから、これはプレゼントです。」


はにかむような笑顔で差し出されたバラを受け取った。お返しに、クリスマスだから日頃の感謝を伝えたくて準備していた、林檎のお菓子の小さな詰め合わせをお渡しした。

 「いつもありがとうございます。」

 お店を出るときにかけてもらったその声を、心の一番底の方にある感情のメモリーに記録した。




 夜の8時頃、オーブンで焼いたかぼちゃと鶏の手羽元や、タラと野菜のグリルなんかを一人分のお皿に並べながら、食卓にバラを飾った。バラは、同じお店で買ったピンク色のスターチスと一緒に活けた。
 ピンクのスターチスの花言葉は、「永久不変」。




 あの時エクセルシオールで泣いていた夜と変わらないのは、結局いつも一人でいること。


 少しだけ変わったかもしれないのは、誰かに何かを手渡したり、そのお返しに何かを頂いたりする瞬間が少しずつ増えてきたこと。
 そして、それを「幸せ」と認識するようになったこと。

 今の自分にとって「家族」であるぬいぐるみたちと一緒にクリスマスの夜を過ごす時間を、めいっぱい慈しめるようになったこと。




 今年読んだ本の中で一番好きな小説の一つにこんな言葉があった。


 「懐かしい時代に戻れる唯一の方法は、いま幸せを感じることよ。」
 「幸せは万能薬なの」
 「幸せな瞬間だけが恋しさに勝てる」

  ―『千個の青』(チョン・ソンラン)より



 かみさま、かみさま。
 わたしが一番欲しかったのはこの一本のバラです。





 あなたにたくさんの幸せの記憶が訪れますように。

 それが永久に変わらない輝きとして心の中にずっと残りますように。

 あなたにとっても、私にとっても、来年のクリスマスがもっと幸せで、その翌年はもっともっと幸せになりますように。

 これから先の未来の中で年月が経つたびにクリスマスが、より大きな幸せの訪れる日になりますように。



 クリスマスの夜にそんなことを祈っていた。




 最後に、今年もブックサンタに寄付しました!
 これも毎年変わらないことにしたいと強く思います。

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