韓国語ゼロで渡韓し、教えるまでになったわたしのストーリー
2003年5月「アンニョンハセヨ」しかわからない状態で、ルイヴィトンのスーツケースを持ってピンヒールを履いた大阪のネエチャンがソウルに降り立ちました。
そこからはや21年。
日本語と韓国語を合わせると、教えた人数も延べ3,000人を超えました。
渡韓したときはこんなことになるとはまったく想像もしていませんでした。
どのような道のりで、韓国語ゼロから韓国語講師にまで至ったのかをお伝えしていこうと思います。
韓国語を勉強している方に、少しでも参考になると嬉しいです。
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