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今年食べて美味しかった一品

仲間内で、「今年食べて美味しかった一品」が話題となった。

根暗な私は、食に無頓着である。
厳密に言えば、「根暗」と「食に無頓着であること」との因果関係は不明である。
しかし、「美味しいものを食べたい!」というモチベーション、あるいは「こんなに美味しいものを食べた!」という記憶が喚起される脳の仕組みは、「根明」側の人間が持ち合わせている性質であるのではないかと、どこかで漠然と考えている自分がいる(こういうのを「アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)」というのかも知れない)。

とまぁそういうこともあり、必死に考えてみた。
「今年食べて美味しかった一品」
必ずあるはずである。誰にでもあるはずである。
流石の私も、今年、何かを食べて美味しかった、という記憶はある。
しかし、それが「どこで食べた何」だったかは、やっぱり思い出せないのである…

必死に思い出す中で、ふと浮かんだ光景があった。

大学時代から仲の良い後輩と、食事に行ったのだ。
こちらは配偶者と。そして後輩は、「もうすぐ結婚します」というお相手と。

後輩は、バツイチだった。
とはいえ、何も悲惨なバツの付き方ではない(そもそも「悲惨なバツの付き方」ってなんだ?という話はあるが)。
結婚後の夫婦・家族の在り方について、考え方が違いすぎたということを理由に、互いに話し合って円満に離婚したのである。
お互い理性的で、シンプルに価値観の違いだったのだろう。

職業柄、「離婚」については頻繁に見聞きするので、さほど特別なことだとは思っていない。
むしろ、二人の今後を考えた時、「離婚」という選択肢がお互いにとってより良い選択であるとすら思うことも、決して珍しく無い。
「離婚」という語感に伴うネガティブなイメージは、そろそろ払拭されても良いのでは無いかとすら考えていて、「新たなスタート」という意味で「新始」(しんし)なんて言葉はどうだろうと思っているくらいである(割と真摯に、なんつって)。

そんなこんなで、離婚後も変わらず仲良く接していた後輩ちゃんなのであるが、うちの配偶者の親友ちゃんに、とても知的な独身がいるというではないか。
ここぞと言わんばかりに配偶者と私とで会議を開き、私の後輩ちゃんと、配偶者の親友ちゃんとをマッチングさせようということになったのである。

ということで、根暗な私の陽キャ発動。
私の出張を利用して、後輩ちゃんと、親友ちゃんの3人で食事(配偶者は家で子守り。助かりますm(_ _)m)。
その後半年ほどで「結婚する予定です」的な感じで、私たちが住んでいる町まで二人して訪ねてきてくれたんだから、嬉しくない訳がない。

配偶者(根明)が、張り切って美味しくて雰囲気も良いお店を予約。
1日10名しか入れず、完全予約制で、しかも開始時間もお店に合わせなければならない(全組同時スタート)という、知る人ぞ知る隠れ家のお店。

いやぁ、美味しかったという記憶はあるんだけど、味は全く覚えてない(爆)
それよりも、どんな話をしていても、後輩ちゃんと親友ちゃんが幸せそ〜に笑うんだ、これが。
あー、自分達も新婚だった頃、知り合いの、ちょっぴり年配のご夫婦が、こうやって美味しいお店に連れて行ってくれてたっけ。
「ありがたや〜」って思っていたけど、そのご夫婦は私たちを見て、私たちの幸せそうな笑顔を見て、ウキウキした気持ちになっていたんだろうな。

根暗な私は、「今年食べて美味しかった一品」は思い出せなかったけど、「今年食べているときに幸せだったひととき」は思い出せました、とさ♪

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