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いつも気づいたらものがなくなっている

色々なものを失くしてしまう。毎日失くしたものをどこ行ったっけ?と探しながら生きている。それは別に友情とか愛情とかそういったエモーショナルな話ではなく、本とかトートバックとか、物質的なものの話だ。色々なものを失くしてしまう理由はもっとも、部屋が汚いからだ。それ以外の理由などないというくらい。床には様々なものが散らばって、スプラッシュしている。それ故に、色々なものを失くす。絶対にこの部屋の中にあるはずなのに、どこを探してもない。不思議なくらい、どこにもない。失くしたものを探す過程で色々なものを散らかし、さらに部屋がディストピアと化す。探していても見つからないので、だんだんイライラしてきて、結局探すのをやめる(探す過程で散らかしたものは片づけない)。文章におこすと、より自分の片づけ能力のなさに愕然としてしまう。こんなにものが溢れているのに、自分が探しているものはこの中にないのだなと思うと、不思議な気持ちになる。

失くしたものを探す時間がなければ、もうちょっと有意義に人生を送ることが出来るのだろう。探して散らかす時間に比べたら、使ったものをちゃんと元に戻す時間の方がはるかに少なくて済むだろうに。どうしてもできない。一念発起して半年に一回くらい大掃除をするときはあるけれども、一週間もすれば元のスプラッシュマウンテンに戻ってしまう。

もうここまでくると開き直ってきて、私は散らかす天才か?とまで考えてしまう。もしかして、私の才能はこれとごみ箱フリースローに全振りしてしまった?しかしこの才能を活かす場はきっとないだろう、残念だ。

しかも、私のこの散らかし癖は家族以外、誰も知らない(はず)。これ絶対ばれたらがっかりされるよなあ。その日が来るまでに直さねばと思って十数年たっている。しかし、公共の場ではあまり散らかさない。学校のロッカーや机の中は、散らかさずに生きてきた。たぶん見られているという意識があるからだろう。そこもまた自分の小賢しさが嫌になる。(しかし、カバンの中は例外。カバンの中は自分しか見ないので個人の範囲内になるとみているのか、とっちらかっている)

私がここまで散らかす理由としては、極度のめんどくさがり屋であること、無意識に行動していることなどが挙げられるだろう。使ったものを次使うときに探すであろう面倒くささはかえりみず、使ったものは戻すのが面倒くさくてそのまま。また、いつも常に考え事をしてボーっとしているので、ものをどこに置いたかという記憶がない。たまにどうしてこんなところに!?というところから見つかったりする。私は大丈夫だろうか。

そして、この題材で書こうと思ったのは、他でもなく今現在ものを失くしているからだ。本がない。どこかに置いたのだけれどおかしいな、どこにもない。読みたいと思った時にない。使おうと思った時にない。自分が嫌になる。そして探すのを断念してのんきに記事を書いている。このままでは本が読めない。これから探すのを再開しようと思う。時間はあるのだから、ちゃんと整理しないとだめだな。

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