日常があるからこそ。
私はしがない接客業で生計を立てておりますが、そこでも変態を隠していないため、こないだのお客様に、私がマゾであることを伝えまして、伝えたら何故か、最初よりも丁寧な敬語になったのが、なんとなく面白く、そんなに私のこと、丁寧に扱わなくていのにと思いました。
マゾを尊重してくださりありがとうございます。私も、あなたの加虐心を尊重します。
ところでどっこい、変態とはなんぞやと、冬の夜長に私は考えてしまったわけです。
今日も、ボンデージの先駆者の方を中心とした変態の飲み会へ参加し、ぼくはラバーが好きですとか、M男ですとか、顔面崩壊に興奮しますとか、そういった話を聞いてきたわけなのですけれども。
あれ、わたし、どっちかというとエロのひとだし、下ネタが好きだし、痛いのがちょっと好きなだけなし、この人たちのその「面白」の部分、ないかもしれない。黒帯で拘束とか、なにそれ、めっちゃいいじゃん。その上で顔面崩壊。なにそれ最高じゃん。
エロって、どちらかと言うと諸刃の剣なわけです。
セックスをすれば、彼氏彼女に自動的になるわけではなく、むしろそれ以降、なんだかよく分からないけれども潜在意識のなかで「男女の仲」というものに一括りになり、かといって二回目のセックスをしたいかどうかと言われればそうでもない時もあり、だけどセックスをしてしまったが故のその「俺の女感」「私の男感」をお互いに漂わせながら生きていかねばならなくなるのです。
そんな、セックスという単純な粘膜接触で、プライスレスでオリジナルだった人間二人の関係性を、男女の仲、とかいうありきたりなものにしてもいいのかしら。という思いが、ここ数ヶ月の中にあります。
身持ちを固めたいと思っているのに既婚者ばかりと関係を持っているのも、なかなかに意識に反していると思うし。
きっと私が変態に振り切れないのは、結婚して子供が欲しいというその最後の「ふつうっぽさ」へのとんでもない憧れがあるからなんじゃないかと、勝手に思っている。
猫背
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?