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草薙水素「多重人格説」の明示的根拠

 スカイ・クロラシリーズの 「僕」は多重人格という説は、特に新鮮でも斬新でもなく、既に多くの読者が認識している事です。
前回の投稿で長々書きましたが、個人的に分かりやすい証拠というか、根拠というか、考え方の一つとして「これだな」と思われる箇所を挙げておこうと思います。

 なぜ、前の投稿で書かなかったかというと、軽いネタバレになっちゃうかな。。。?と思ったので、控えた訳です。

 でも、言うほど大した事ではないので、ま、いいかな。と思いなおしました。
 普段の私は、一切の先入観を持たずに作品に触れるように気を付ける性格です。
観ようと思っている映画などは予告すら見ないですし、キャスティングすら知りたくないと思うほど、事前情報を極力排除しようとする人です。

 しかしながら、映画の予告や本のレビューなどを見て「観てみよう」「読んでみよう」となる事も当然ながらあります。
ここで書いている本の紹介も、どちらかというとそういうスタンスで書いていますので「読んでみたい」と思った方がいたら嬉しいかもしれません。

 読んでみたいと思えるような本の紹介が出来ている自信はありません。
投稿を読み返してみると印象として
 重い
 苦悩
 苦い
 儚い
 やるせない
そんな印象になってしまうかな。。。と

 空で戦う事を純粋に求めるクサナギ・スイトが、厭世的に社会に背を向け、大人になる事を望まず、社会の歯車の一つになって戦闘機乗りとしていずれ死んでいく。
 そんな救いのない世界という印象を抱かせてしまっていたら、すいません。この一連の投稿は失敗です。(因みにクサナギ・スイトは死んでいません)

 全5冊+短編集1冊の計6冊の中で一番好きな1作は
「ダウン・ツ・ヘブン」です。
時系列で言うと2作目ですね。
若し、この物語がここで終わっていたら、このシリーズは全く違うものになっていたでしょうし、逆に平凡な駄作になっていたかもしれません。

 前にも書きましたが私は「スカイ・クロラ」から読み、「スカイ・クロラ」で終わる読み方をしました。
最終話を先に読んでから、1作目、2、3、4、と読んで又最後の「スカイ・クロラ」を読んだわけです。
あえてそういう順番で読んだのは、出版を追いかけるように読んでいた初版当時の読者と同じように読みたかったからです。
でもこれ、よく考えると「ネタバレ」みたいなものですよね。

 どうしてそれを気にしなかったのか?は単純に、「最終的な結末を知っている読者」に向けても書かれているはずですし、であるならば「スカイ・クロラ」を知った上で読んでも大丈夫なように書かれているはずだ。と思ったからです。
 そのように、ちょっと変則的な順番で、とはいえ発表当時の読者のような順番で読んでみて思ったのが、いつまでも「終わらない」ということです。
読み終えると又、1から読みたくなる。言わば無限ループですね。

※無限ループ説
押井守が監督をしたアニメ映画の方は、無限ループを取り入れた解釈で作られていますが、アニメと原作は大分違います。アニメの方は戦闘機パイロットである「キルドレ」は死と再生を繰り返す設定です。無限に繰り返される死と再生。
原作の「キルドレ」は老化しない。見た目は10代のままで、何も無ければ死なず永遠に生きる事も可能ですが、戦闘で撃墜されたり銃で撃たれたりすれば死に、生き返る事はありません。

 元々、私は、気に入った作品は繰り返して読む習性があり、このシリーズはそういう習性がある人にはピッタリです。
 忘れた頃に又、読むことができ、いつまでも終わらない感覚を抱けるという点は付記しておきましょう。
 そんなの嫌だなと思った方は、短編集を読めば一応幕引きができるので、それも付記しておきます。
或いは「ダウン・ツ・ヘブン」で終わるという読み方もありです。ここで終われば、ややこしい「多重人格」に触れずに済む上に、この2作目の終わり方が実に心地よい余韻を残してくれます。
しかも、ここで終わっても物語は成立します。
 
「ダウン・ツ・ヘブン」はエピローグ、つまり最終章だけ読み返しても、読後の余韻を何度も再生できるくらい好きです。短い章ですが、元々余分なものが少ない文章が更に削ぎ落されて、実に清々しい文章です。

 で話を元に戻しましょう。
ここからはネタバレになります。というほどでもありませんが、



この「ダウン・ツ・ヘブン」のエピローグには草薙水素が3人出てきます。
後の多重人格の種はここに書かれています。
その部分をズバリ引用してもいいのですが、読めばわかると思いますので、それだけはやめておきましょう。


 

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