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95歳の老いの現実

私の祖父の妹が95歳。おばさんの夫は、15年くらい前に天に召され、長男は11年前に永眠し、一人暮らしになった。その後は隣県に嫁いだ娘が、月に2回訪問し、毎晩生存確認の電話をかけていた。

息子の死後、私の父を頼り、梅を直売所に出していた。父も暇だったので、草刈や畑を手伝いながら見守った。

5年前、電話に出ないので様子を見に行ってほしいと連絡があった。19時にいつもかけているのに、出ないから心配でしょうがないみたいだった。

いつものことだが父は酒を飲んでいたので、私が運転して見に行った。家は、真っ暗で声をかけても返事がない。寝室の前のガラスを割って侵入しようとしたら、道路を歩いている人がいた。見たら、おばさんで近所の公民館で会議があったが、娘に話すのを忘れてしまったらしい。

かくかくしかじかを娘に電話すると、とても安心していた。信頼感がアップしてしまい、万一の時のために合鍵を父が預かることになった。

約1年後、合鍵が役立つ日が来た。また電話に出ないから見に行くことになった。今度は、何が起きているのか。倒れていたら、救急車を呼んだ方がいいか話しながら向かった。

またもや家のあかりはついておらず、真っ暗闇。裏口から入るが、電気のスイッチがどこにあるか分からない。懐中電灯を照らしながら、家の中を探すとベッドで寝ていた。

どうやら電話が鳴らなかった。受話器を持ち上げて、ダイヤルしてもつながらない。携帯からかけると、呼び出し音はするが、固定電話はウンともスンとも言わない。電話が壊れていた。

事の次第を私の携帯から、娘に話すと予想外の展開に、胸をなでおろしていた。正確には、電話回線に不具合があってつながらなかった。

この頃から、ちょっと認知症っぽくなってきて、お茶を出されてもぬるかったとか、肉や魚を娘が買い置きしても自分で料理をしなくなり、パンや甘い菓子を食べるようになっていった。

そして3度目の呼び出しがあった。12月の半ばすぎ、今度は何かが起こっていそうだった。裏口から入ると、玄関前で倒れた人影。声をかけると、1時間前に転んだという。あおむけになったまま、動く気配がない。

起こしてベッドに連れて行った方がいいのか?頭を打って動けないのか?私も父も、どうしていいか分からず、救急車を呼んだ。

娘が来るまで、病院で待機していた。もう一人暮らしは無理、限界だねと話していた。

検査の結果、頭に切り傷があっただけで異常はなかった。倒れたまま動かなかった理由に驚愕した。動けなかったのだ。あおむけから、うつぶせになって、腕と膝を使って立ち上がることができない。腹筋を使って上体を起こすこともできない。

90歳の運動能力を知らなかった。元気で長生きでも、倒れたら自力で立ち上がれず、助けを呼ぶこともできない。

娘から練習させてみたけど、無理だったと聞き、足腰だけでなく、全身の筋力が低下して、誰かの助けなしでは生活が難しいことが明らかになった。

それまでは、週3回デイサービスに行っていた。私や父は、施設に入居した方が安心安全と思ったが、おばさんが「家がいい」と言うので、お手伝いさんに来てもらったり、見守りカメラを設置したり、他の親戚の手を借りたり試行錯誤していた。

結局今は、外泊可能な施設に入り、月に1週間から10日くらい自宅に戻って娘が世話をしている。なかなか外泊を許可する施設はないらしく、毎回PCR検査で陰性を確認してから施設に入れてもらえるという。

食事やトイレは自分でできるが、自宅では夜3回トイレに行き、娘はそのたびに起こされる。大変だなあと思うが、他に世話する人がいないから、娘に頼らざるを得ない。

親孝行とは難しいと思う。親の要求をすべて聞いていたら、子の生活がままならない。やってあげたい気持ちをどこまでと決めておかないと、親子共倒れになってしまう。

嫁いだ娘は「お母さんの世話をこんなにすることになるとは思っていなかった」と言う。そう、兄が生きていて同居していれば、遠くから通うことはなかった。

私も3度目の生存確認へ行った頃から、うちの親も年寄だから、いくら親戚とはいえ、もう手伝えないと思った。しかしよく考えたら、おばさんは15年後の両親の姿なんだと気付いた。私は、おばさんを通じて老いることの現実を学ばせてもらった。

しかし15年後、おばさんの娘のようにアクティブに親の面倒を見る自信はない。私は私なりのやり方を編み出していくしかない。

参考になるのは、助けてもらえそうな人にはダメ元で声をかけておくこと。困ってますと言って、都合がつけば助けてもらえるし、忙しければ無理と言われると割り切っておけば、断られても仕方ないと思える。田舎ネットワークを上手に使うことでおばさんの娘は、孤独な介護をしなくてすんでいるのだから。